生理は隠すもの、恥ずべきものなのだろうか?

「なぜ、毎月こんなに辛い思いをしないといけないのだろう」
きっと女性なら、ほとんどの人が「生理」についてそう思ったことがあるはずだ。
はじめて自分の股から血が出たあの日から、わたしの生理に対するもやもやは続いている。

小学校の保健の授業で、「第二次性徴」についてなんとなく教わる(気がする)。でも、他のクラスメイトと同じように、あまり理解していなかった。
窓の外をぼーっと眺めて授業に耳を傾けず、なるべく性について考えないようにする。「このままずっと子どもでいて、平和な日々を過ごしたい」と心の奥で願っていた。
ところが、静かな抵抗も虚しく、カラダの変化はやってきた。

12歳のわたしは、同級生の誰にもそれを知られたくなかった。トイレでは、なるべく音を立てないようにナプキンを替えた。生理の話題になったときは、その場ごまかして過ごした。
知らず知らずのうちに、「生理は隠すべきもの」と思うようになっていたのかもしれない。
でも大人になった今、振り返って思う。「そもそも、生理は恥ずべきものなのだろうか?」

ずっと生理とのうまい付き合い方がわからなかった

中学校にあがると、同級生のほとんどは初潮を迎えていた。ゴシップが好きな、思春期真っただ中の14歳の女子たちは、よくこんな話をしていた。
「XXちゃん、生理痛がひどいから今日の部活休むんだって」
この発言には批判が込められている。そして心ない言葉が続くのだった。
「わたしだって生理はあるけど、いつもがんばっている」「生理で休むなんて甘えだ」。
まだ幼い中学生だからこそ言える言葉なのかもしれないが、それはあまりに冷徹だ。

「なぜ、わかり合おうとしないのだろう?もちろん、それぞれ症状は違う。けれど同じ女性性なら必ず、生理を経験している。ならば助け合いができるのではないだろうか?」
大人になって振り返る。

いろいろな経験から、ずっと生理とのうまい付き合い方がわからなかった。疑問を多く持っていた。もやもやしていた。

4週間の周期の中で、多重人格とも思えるほど性格が変わる。
調子が良いときには、毎日がバラ色。鏡を見て「今日めちゃくちゃ可愛いじゃん、わたし」と思い、自分の人生が最高に楽しく感じる。たくさん運動もするので、カラダは引き締まる。
一方で、気分が下降していくと、とことん自分を嫌いになる。
いつもと同じメイクをしても「やっぱり可愛くないな、わたし」と思う。どうしてこんなになってしまったのだろう、と戻りもできない過去を思い出して、自己嫌悪感に苛まれる。
動かない上、ジャンクフードをたくさん胃に放り込む。カラダはむくみ、だるくなる。悪循環の日々。

「生理は隠すもの」からより「オープンに話せるもの」へ

もやもやした日々が続く中、とある本を手に取った。女性の健康を、東洋医学の観点から解説したものだった。
この本を通して、わたしを薄暗い闇から解放してくれる魔法の言葉に出会う。
「生理はデトックス」だ。

生理にまつわる嫌な気持ちは、長年積み重なっていた。もやもやも、うまくいかないことも生理に合わせてデトックス。自分のカラダからどろどろした気持ちが流れでる。そしてカラダは生まれ変わる。新しい自分に出会うことができる。
そう思うと、少しだけ生理に対するネガティブな感情が和らぐ。
そして、大切な人をいたわるときのように、自分を優しく包み込む。

生理に対してポジティブな感情を持つことは難しい。少なくともわたしにとっては。
でも、うまく付き合う方法を探していきたい。

これからは「生理は隠すもの」からより「オープンに話せるもの」へ。
「生理は甘え」という批判ではなく、「うまく生理と向き合うコツ」を共有する。
そうすれば、ほんの少しだけ世界は優しくなる気がする。