私は大学の時に、初めて彼氏が出来た。

相手は違う学部でサークルに入ってから仲良くなり、3ヶ月は友達だった。話していくうちにお互い「好きな人がいる」と判明し、彼の好きな人が私と同じ学科の子だというので、私は相談にのっていた。逆に私はサークル内で気になる人が出来て、それを相談していた。

その最中、男女間の友情において距離感が難しくなったのは夏頃。大学の近くで毎年催される夏祭りがある。それに行こうかと迷っていた。その時は、一線を超えた関係になると思っていなかった。

社会人になって思うことは、恋愛に「無関心になった」ということ

あれから5年くらい経つ。今、社会人になって思うこととしては、恋愛に無関心になったという確信。5年のブランクがあるけれど、恋愛ドラマや映画を観ている分には楽しい。

でも、恋愛を楽しむ当事者の幸せを望まなくなった。コロナ禍の影響で離婚率や別れる確率、不倫をする芸能人と一般人も増えた。夫婦の距離感と恋人の距離感は重みが違うし、責任能力が加わるかどうかも変わってくる。仕事の日や、休みの日はテレビのニュースで情報を仕入れ、ツイッターでもどんな意見が上がっているか等のリサーチが日課である。

ある仕事帰りの日。この日は日勤より1時間遅い19時上がりだった。私は1回だけ乗り換えがある。経由駅から乗り換えて電車に乗ると、上野駅辺りから男女2人組が増えた。

席に座れば、彼女の荷物を持ってくれる紳士。一方で、ベビーカーで眠る子供がいつ泣き出してしまうかヒヤヒヤしていながら優しく支える素敵な旦那様。女性陣は細やかな支えで、どれだけ救われただろうか。見ている私は、仕事の疲れが一気に吹き飛んだ。

いつもの帰り、最寄り駅の改札で「指を絡め合う男女」を見て思うこと

見ているだけの幸せも悪くない。気持ちとして息が詰まることが多い職に就いていたのもあって、微笑ましい光景は今でも残る。家の最寄り駅に着いて降りると、違う車両から男女2人組が降りてきた。混んでいるのもあって、ソーシャルディスタンスを取る。

何人か改札を出て、落ち着いたタイミングで階段を上ろうとするが、男女2人組が指を絡めて階段を上がろうとしている。その様子を見ながら、少し時間を置いてみた。どうやら何かを探している。鞄の中を弄る彼。彼女はくすぐったそうに微笑んでいた。

日本国内において駅やデパートの階段を上る時は大体、右側か左側か表示がある。私の最寄り駅は、構造の問題から上に行くにつれて狭くなっていた。
広い階段のスペースで、下りる人も上る人も譲り合いながら心遣いを忘れない。肩がぶつかってしまったら「すみません」の一言があり、「大丈夫ですよ」とか返事がある。その雰囲気がとてつもなく好きで誇らしい。

でも……私と同じ世代の若者カップルは、周りを気にせず堂々と恋人と歩く。今、目の前にいるカップルは私より少し上の世代という印象。恋愛に歳は関係ない。
ただ、公共交通機関を利用する際だけ……ソーシャルディスタンスを考えるべきではないかと思ってしまう。

コロナ禍の今、公共の場では「ソーシャルディスタンス」を守ろうね?

2人の距離感が近すぎると、熱されやすく冷めやすい時期を迎える。その後でどんな風に乗り越えるか。時間は待ってくれなくても、未来は待ってくれている。コロナウイルスを言い訳に別れてしまうか、遠距離恋愛や距離を置いて互いの存在について大切さを実感する期間にするか。私なら、後者にしたい。

心掛けるかどうかで全てが変わる。一方的に愛されても退屈でお互いを想い合ってこそ生まれるのが絆。
「ねぇ、どこどこ? イヤホン」。
「鞄の中にしまってあるけど、あれ?」
「かなり深くて奥に隠れちゃってるのかな、ふふ」。
2人の世界に幸あれ。片耳イヤホンを間近で拝めると思わなかった。しかも、高校生じゃない世代なのはレアな光景。大人の恋愛でも、こんなことがあるなんて。
「あった、あった」。
「あ、ホントだ」。探し物が見つかって良かったですね、はい。イヤホンを片耳ずつ付け合う男女。付け終えた手は重なって、指まで絡まった。

あの男女はそのまま指まで絡めて、階段を上っていった。バランスを崩してしまうと本人達が危ない。特に彼女は、高めのヒールを履いていた。少し転びかけて、反射的に腰の辺りを彼が支える。腕時計を見ると、改札を出てから地上に出るまで30分も経過していた。

「はぁ……疲れた」
夜空を見上げて、思わず溜息と弱音を吐いてしまう始末である。濃厚接触は程々にしましょうね?