人並みが一か所不自然で、なんだろう、と思ったら
JR新宿駅のホームに続く階段で、障がいのある方を見かけた。
それはミスコンのトレーニングの帰りで、わたしは電車を乗り換えるためにホームの階段を降りているところだった。
人並みが一か所不自然で、なんだろう、と思ったら、階段の端っこに小柄な中年女性がいた。
一目で足が不自由なことがわかった。
女性は杖をつきながら、ひどく不安定な歩き方で階段を上っていた。一段ずつ両足で踏みしめながら階段を上がっていた。一段上がろうとするごとに体がグラグラと大きく揺れて今にも転んでしまいそうたった。
あら、どう見ても大変そうだわ。助けた方がいいんじゃないの、とわたしは思った。でも、周りを見ても誰も足を止めていなかった。
そこには彼女を追い越す人波のうねりがあるだけだった。
わたしはもときた階段を戻って女性に声をかけた
自分の感覚がおかしいのだろうか?と、わたしも流れに乗って一度彼女の横を通り過ぎた。
でも、どう考えてもその女性が一人でホームに辿り着くことが困難に思えて、振り返った。やっぱり誰も足を止めてはいなかった。
わたしはもときた階段を上って声をかけた。
「お手伝いしましょうか?」
顔を上げた女性は汗をびっしょりかいていた。たいして暑い日でもなかったのに、大粒の汗が彼女の輪郭をなぞっていた。首にかけられたタオルは今にもずり落ちそうになっていた。
女性は「大丈夫ですか? お時間は大丈夫ですか?」とうまく呂律の回らない舌で、わたしの予定を心配した。
女性に肩を貸して階段を上った。一段一段とても時間をかけながらゆっくり上った。
上っている途中で女性が、いつもはエレベーターに乗るけど、こっちの方が近いと思って階段にしてしまった、と話してくれた。
その声がとても申し訳なさそうに聞こえて、わたしは、そうだったんですね、と言いながら、心の中で、そうだよね、近い方がいいと思ったっていいじゃんね、となんだか行き場のない憤りが胸の底からぷつぷつと浮かんできて苦しくなった。
2人で必死に、本当に必死に歩いた
電車がホームに来た。けれどその電車には乗れなかった。わたしたちがホームに着いた時、すでに電車は影も形も音もなくなっていた。
女性が出来ることなら6号車から乗りたいと言った。6号車だと降りたときに、エレベーターだか改札だかが近くて助かるのだという。
わたしたちは肩を寄せ合ってホームを並んで歩いた。二人三脚のように歩く私たちは、多分、とても目立った。周囲の視線を感じながら、いつの間にかわたしの全身からも汗が吹き出していた。
2人で必死に、本当に必死に歩いていたら、不意に女性が通路の狭くなっているところでバランスを崩した。肩がぐんっと強く引っ張られた。
ーーあ、やばい、転ぶ。
そう思った。けど、わたしが一緒になってバランスを崩したら絶対にダメだ、転んだら、大変なことになる。何かの拍子に彼女が線路にでも落ちたら取り返しのつかない事になる。
わたしは死ぬ気で踏ん張った。本当に、言葉通りに。わたしたちは転ばずに済んだ。ほっとしたと同時に、唐突に、何だかすごく悲しくて惨めな気分になった。
助けて欲しい、と思った。
私たちは今、新宿の駅で二人ぼっちだと思った
人一人を支えることは本当に本当に大変だった。駅員さんもわたしよりずっと力のあるだろう男性も誰も助けてくれなくて、私たちは今、新宿の駅で二人ぼっちだと思った。
あとになって、自分から駅員さんを呼べば良かったんじゃないの、なんて思ったけれど、そんなこと、あの時は全然、頭に浮かばなかった。ただただ必死だった。
それにもし頭に浮かんでいても、わたしがその行動を取ることで、なにかしら女性の気持ちを傷つけてしまうんじゃないかとか、そういうことをぐちゃぐちゃと考えだして、駅員さんを呼ぶことはできなかったんじゃないかなとか思ってしまう。
2本めの電車が来て、だけどわたしは女性を6号車へ連れて行くことはできなかった。
女性はわたしにお礼を言って、そのまま近くの車両に乗り込んでいった。
電車を待つ人が乗る順番を譲ってくれたので、わたしはありがとうございますと頭を下げた。
目の前に現れた世界が「これ」であることが悲しくてどうしようもない
女性と別れたあと2人で電車2本分の時間をかけてきた道のりを戻った。30秒くらいだった。
雑踏を歩きながらじわりと涙が出てきた。
あのときあの場所にいた一人ひとりにいろんな事情があって、それは忙しかったのかも知れないし、勇気が出なかったのかも知れないし、気づかなかったのかも知れない。わたしがいるから助けは必要ないと思ったのかも知れない。内面的なことはわからない。
だけどあの瞬間、目の前に現れた世界が「これ」であることが悲しくてどうしようもなかった。ほんの一瞬だけれど、彼女にとっての「普通」を垣間見た気がした。悔しかった。自分の不甲斐なさも非力さも目の前の世界が「これ」であることも。
今でもたまにこの時のことを思い出す。そして、どうしようも無い気持ちになる。
別に誰かを責めるつもりはなくて、わたしの行動が正しいと主張したいわけでもない。わたしだって1度は彼女の横を素通りしたのだ。他人に偉そうなことなど何も言えない。
ただ「みんなそうだから」なんて理由で行動を選ばない自分になりたい。
目まぐるしく変わる世界の中で、一拍、呼吸を置いて、自分の頭で考えてから選びたい。そういう選択を積み重ねて、わたしの生き方を掴んでいきたい。