「生理」
この言葉を口にするだけでも嫌気がさしてしまう。それは今始まったことではなく、小学校高学年になってから、女子だけが保健室に集められ、そのことについての話を聞いた、あの日からずっと変わらないことだ。

生理は「私は女の子」と受け入れなければならないきっかけだった

もともと私は女子と男子という区別をされることについて、人よりも敏感に「嫌だな」と感じてしまうほうだったのだけれど、それを本格的に受け入れざるをえなくなった最初のきっかけが「生理」だったように思う。

今も昔も私は変わらず、あまり女の子の集団というものに属することができなくて、1人浮いているというわけではないのだけれど、男の子のグループと女の子のグループとを、行ったり来たりするような生活を送っていた。

それが明確に「私は女の子なんだ」と受け入れなければならないことが、歳を重ねるごとに増えていった。

大きな変化は、小学校の水泳の時間に、生理のために授業を休まなければならなくなったこと。
保健の授業で男の子とではなく、女の子と一緒に話を聞かなければならなくなったこと。
体育の授業では、男子と女子という分け方をされ、思いっきり動き回る男子を横目に、遊び半分な運動でも許されるようになったことだ。

私は運動が大好きだったし、自分で言うのもなんだけど、運動ができるほうだったから、性別だけで授業のレベルを決められてしまうことが、なんだか悲しかったし、悔しかった。

私は私でいたいのに、女の子という性であるがために、男の子を敵に回す女の子の一員に自動的に組み込まれるのを感じたし、「女の子だから仕方がない」という一見優しさのような、人々のあきらめが悲しかった。

生理は私を苦しめる大きな病。強い自分で在れないのが悔しかった

私にとって生理は「私は男の子ではなく、女の子なのだ」という受け入れがたい事実に、真っ正面から向き合わせようとしてくる事柄であると同時に、自分を苦しめる大きな病でもある。

自分以外の人の生理痛が、どの程度のものなのかはわからないけれど、私の生理痛はとてもひどいもので、特に高校時代は生理痛が理由で2回ほど学校を早退した。

確か季節は夏で、猛暑の外と、クーラーでガンガンに冷えた教室との温度差に体がついていけず全身の血の気が引いて、冷や汗が止まらなくなったことを覚えている。

強い自分で在りたいのに、生理のためにそう在れないことが悔しかった。
今でこそ理解があるけれど、私の母と祖母は生理痛が軽いほうで「私はそんななったことないから、あなたの生活習慣がうんぬんかんぬん」と最初は取り合ってもらえなかった。
高校時代のひどい生理痛で、学校の汚いトイレの床で横にならないと耐えられないレベルだったと知って、青ざめた私の顔を見て、初めて信じてもらえた。

あけっぴろげに生理の話をすることに抵抗があり、嫌だった

母も祖母も私とは違ってオープンな性格なので、生理の話なんかもあけっぴろげに「今日女の子の日?」「同じ女の子なんだから隠す必要ないのよ」と気さくなかんじで聞いてくるのだけれど、私にとってはそれもなんだか嫌だった。

それに似たようなかんじで、友達同士で生理の話をするのも私は抵抗があるし、私の友達もそういった価値観を持っている人が多い気がする。
私の生理痛は、たまたま友達に紹介してもらったレディースクリニックで、生理痛がひどいことを相談して、薬を処方してもらったことで、かなり改善されたのだけれど。