はじめてメイクをしたのは、中学生の頃だった。
友達に誘われて100均でコスメを買い揃え、雑誌をみながら見よう見まねで顔に色をのせていく。
決して上手じゃかったけれど、心がときめいたのを覚えてる。
それが、わたしとメイクの出逢いだった。

26歳になった今、わたしはメイクを生業にしている。
といっても、一般的に想像される“メイクさん”ではない。
100を120にするメイクとはまた違う、30とか50とか80とか、なんらかの理由で100から削られてしまった部分を補うメイク。
だれもが当たり前の毎日を生きていくためのメイクを提供するのが、わたしの仕事だ。

普通のメイクさんと少し違う仕事をするわたしが感じるメイクの危険

ある日のわたしは、セラピストさん。
施設で生活するおじいちゃんおばあちゃんにメイクやマッサージを提供する。
ある日のわたしは、おくりびと。
亡くなられた方のその人らしい最期の身支度をお手伝いする。
ある日のわたしは、メイクの先生。
就活中の障害のある方々に身だしなみのアドバイスをする。

どれも「メイクさん」の仕事とは少し違うけど、どれも一人ひとりがこの世界を生き抜くために必要なメイクだと思う。
わたしは、こういうメイクが世の中には必要なんだと信じている。
だけどわたしは、同時にメイクなんて無くなってしまえばいいのにとおもっている。
外見に執着させすぎてしまうメイクは、とても危険だ。

わたしがメイクをするのは、鏡の前で一瞬咲き誇る笑顔を見るため

鏡の前で笑顔が咲き誇る、ほんの一瞬。
わたしはその一瞬のために、メイクをしている。
仕上がりなんてものは、二の次でいい。
その人がその人らしく、生きていけるのであればそれでいい。

手が震えてがたがたの口紅しかさせなくても。
肌が弱くてファンデーションが塗れなくても。
隠した痣が厚塗りに見えても。
結果は、その人の中にしか存在しないから。
わたしは、そのお手伝いをするだけ。
大丈夫だよって、ほんの少し背中を押すだけ。

わたし達は、メイクをするかしないかを、自分で決めることができる

わたしが今の道に進むことを決めたのは、14歳のとき。
友達のリストカット跡に戸惑うばかりで、なんにもできない自分が悔しかった。
そのころ出逢ったのが、傷や痣をカバーするメイクだった。

100を120にするものだとおもっていたメイクの、ちょっと特別な無限の可能性を知った。
これだったら、わたしも人の役に立てるかもしれないとおもった。
なるべくたくさんの人の毎日を、メイクで100に近づけられる人になりたかった。

「わたしなんて」
そう思って生きてきた。
「わたしなんて」
そう言う人にたくさん出逢ってきた。

みんなみんな、自分に自信がなくて、だれかに見られることがこわくて、勝手に評価されるのが痛いんだ。
だからわたしは、こんな自分も悪くないよねって伝えるためにメイクをする。
だからこそわたしは、そのまんまの自分も悪くないよねって伝えるためにメイクをしない。
メイクしなくてもいいんだよって、ちゃんと伝えたい。
そんな「メイクさん」でありたい。
わたし達はいつどこにいても、メイクをするかしないかを、自分で決めることができるんだ。

その事実を、忘れずに進み続けたい。
わたしは、私の意志でメイクする。
わたしは、私の意志でメイクしない。