わたしのお仕事は、いろいろあって。
福祉施設に行って、メイクセラピーや化粧療法を提供したり。
湯灌師として、亡くなられた方の最後の身支度をお手伝いしたり。
ときどき、作品撮りの被写体もしたり。
世間一般がイメージする、週5日おんなじ場所に出社して、おんなじタスクをこなす仕事とは、少し形がちがうけれど。
わたしが生きていくために、絶対に必要なこと達ばかり。
わたしは、わたしが生きていくために、今のお仕事を選んで、懸命に働いてきた。

だれかの役に立てる人になれば、自分に価値が生まれるような気がした

だれかの役に立てる人になりたいと、ずっとずっとおもってた。
だれかの今日を輝かせたり、生きてて良かったなっておもってもらえる時間を創れる人になりたいって。
そうすれば、わたし自身に価値が生まれるような気がした。
なんで生きてるのか、わからなかった。
だから。
なんのために生かされているのか、知りたかった。
意味のないように見える、ちっぽけなわたしの人生が、ほんの少しでも意味あるものになれば。
わたしが生きて、生かされている理由に出逢えるとおもった。

むかしから、美容がすきだった。
だから、美容を仕事のツールに選んだ。
すきなことを使って、だれかの役に立てるなんて、とてつもなく恵まれているとおもう。
しかもそこに、金銭的な価値も見出してもらえた。
わたしの知識や技術が、だれかを笑顔にできる。
これ以上に、向いている仕事はない。
自分を信じてやってきて、間違ってなかったなと、ここだけは自分を褒めてあげたい。
どんなに否定されても、どんなに蔑まれても、どんなに憐れまれても。
やりたいことを追い続けてきて、わたしはほんの少し、強くなれたかもしれない。

だれかの役に立ちたいと働き、気がつくとそのだれかに支えられていた

最初に志してから、なんだかんだで、もう12年くらい、おんなじことを言い続けて、おんなじ理想を追い続けて、おんなじ道を走り続けてきた。
いつ、どこにいても、だれであっても、わたしらしく生きていける世界。
その一端を、美容の力を使って紡いでいきたい。
14歳で巡り会うには、壮大すぎた夢だったかもしれない。
何度も何度も、不安に襲われて、ひとり枕を濡らしてきた。
だけど、あの頃のわたしに伝えてあげたい。
わたしの夢は、毎日毎日、叶ってるよって。
だれかの役に立ちたいと、おもってた。その想いは、今も変わらない。
だけどわたしは、生かされてきた。
「ありがとう」というその言葉に。
「ありがとう」というその笑顔に。
だれかのために頑張らなくちゃと、息巻いていた小さな女の子は、気づくとそのだれかに支えられて働いていた。気張らなくても、大丈夫だった。
わたしの想いはちゃんと伝わっていたし、わたしの努力はちゃんと実を結んでいた。
「ありがとう」って、レスポンスまでもらえるようになっていた。
そのたった一言に、わたしは毎日生かされている。
まだまだ課題は山積みだけど。
わたしは今日も、わたしが信じた道を、わたしらしく生きていこうとおもう。
だれかの笑顔と共に。