「頭洗ひ化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし」
これは枕草子の「心ときめきするもの」の一節だ。
エッセイを書くのに他のエッセイを引用するのは、気が引けるが、これ以上に乙女心と化粧の関係を密接に表現したものはないだろう。

日曜午前5時。勉強まみれの日々から、化粧を楽しめる特別な時間

私は、今18歳の高校生だ。学生生活を送るのに、化粧は禁止されている。親にも化粧のことをあまりよく思われていない。
そのうえ受験生で、毎日勉強まみれの日々を過ごしている。それでも私に化粧を楽しむことが出来る時があるのだ。

それは、日曜日の午前5時。両親はまだ土曜日の仕事疲れで眠っている。
洗顔をして。髪をブラシで整えて。服を化粧に合わせて選んで。本題の化粧に取り掛かる。

アイメイクで吸い込まれるような魅力あふれる目に。
ファンデーションで雪のように白く透明感のある肌へ。
チークで頬に赤みをさして可愛らしさを。
口紅で全体にアクセントをつけて。
ただなりたい私になることが出来ますようにと願いながら、鏡に現れる完成されていく私を見つめる。

「早起きは三文の徳」という言葉通り、お肌にも私にもいいことばかり

その後は、ふらふら散歩をする。すれ違う人々も。野に咲く花も。空飛ぶ鳥も。みんな別世界から来たように思えて面白い。本当に別世界から来たのは私の方で、私が変わったからそう見えているだけなのに。

散歩を満喫したら、近所の喫茶店へ足を運ぶ。古めかしい建物の中には、朝早くということもあって人が少ない。
カフェオーレとサンドイッチをモーニングサービスでコーヒー1杯分の値段食べて、帰宅時間まで小説を読んだり、空想にふけったりする。

「早起きは三文の徳」とは昔の人はよく言ったものだ。
早起きをすると朝空と夜空の混じり合うのも、有明の月を見ることもできる。モーニングサービスで安く朝食を頂くこともできる。
それに夜散歩に出かけると怒られるけれど、朝散歩に出かけると早起きしたことを褒められる。『芸術は夜作られる』なんていう人もいるけれど、夜更しはお肌に悪いし、化粧が出来なくなってお肌が悪くなるとなりたい私になることができなくなってしまう。そんなのは嫌。

大人になれば、化粧をしなくてはいけないという縛りに囚われてしまう

大人になれば、なりたい自分になれなくなるなるみたいだ。
どうやら学生生活での化粧をしてはいけないという縛りから、化粧をしなくてはいけないという縛りに囚われてしまうみたいだ。
それも相手に不快感を与えない化粧。相手に好印象を与えるための化粧。相手相手のための化粧。相手相手相手。
大人になれば自分のなりたい姿よりも相手の目を気にしなければいけないみたいだ。
それはきっと化粧をするとき、つまらないだろう。ファンデーションも口紅もアイメイクもチークもその他の化粧も顔に塗りたくって、相手の望む泥人形になるような作業になるだろう。

なんて非道なことだろう。なんて残忍なことだろう。なんて残酷なことだろう。
お洒落の自由を奪うなんて、きっと罰が当たるに違いない。
お前たちは、十人十色の考えを知らないのか。十人いれば十通りのなりたい姿がある。この世界には、十人どころか何百人のなりたい姿がある。それを不愉快だからという理由で、自分のなって欲しい姿を押し付けてなりたい姿を奪うなんて。
不愉快なら目を閉じて通り過ぎればいいだろう。

でも私ももう18歳。もうじき大人にならなければいけない年齢だ。
きっと私も泥人形に変えられてしまうのだろう。
ただこの長文を読んでくださった方に伝えたい。化粧は確かに私達の魔法だったこと。それが今理不尽に奪われようとしていること。こんな思いをする女の子達が他にもいること。
どうか知って欲しい。