「メイク濃すぎ」「ナチュラルメイクの方が可愛いよ」と、時間をかけてしっかりメイクをすると、かけられる言葉。

一方で、時間をかけないでメイクをすると、「すっぴんで外に出るなんて、ありえない」「さすがに、眉毛くらいは丁寧に描きなよ」「身だしなみとして、清潔感のあるメイクをしてください」こんなことを言われる。

メイクは誰かのためにするものではなく、「自分のため」にするもの

中高生のとき、メイクをしていると「ませている」と陰口を叩かれる。大学生になると、突然メイクは「当たり前」の身だしなみになる。なんて、めんどくさいのだろう。

わたしは思う。メイクは、誰かのためにするものではない。わたしが、わたしのためにするものだ。
ときにメイクは、わたしに自信と勇気を与えてくれる、最強のお守り。違うシーンではわたしの心をむしばむ、最悪の重荷。
なので、メイクとの向き合い方はわたし自身で決める。

デートのときに施すメイクは、わたしにとって「最強のお守り」

「イイカンジ」の彼と、お出かけする日。わたしは彼のことが好きだけど、彼はわたしのこと、どう思っているのだろう? 好きな人の顔を見られると考えるだけで、胸は高鳴る。

でも、心のどこかで不安が募る。普段はテキパキと仕事をこなす。でも、デートの前の晩は、初めて恋を経験した少女のように思い悩む。お気に入りの洋服たちをひっぱり出して、きれいめなワンピースか、それともカジュアルなデニムスカートをはくか、鏡の前で何度も何度も合わせ、比べる。

寝不足気味で迎えた、翌朝。パックをして保湿をしっかりして、髪の毛もきれいにセット。悩み抜いた勝負服に身を包み、メイクをする。きめの細かい肌と、顔がぱっと明るくなるチーク。綺麗にグラデーションされたアイシャドウに、マスカラが映える。

いつもと変わらない日常の中で、なんだか気分が良い。不安よりも楽しみが多く、笑顔がこぼれる。
きっと今日のデートもうまく行く。そう思わせてくれるのが、メイク。やっぱりおしゃれして、メイクするって楽しい。

自分を美しくしてくれるお守り。そして、ときに「重荷」となるメイク

今日は一日中雨が降っているせいか、頭は冴えないし体調も優れない。しかも、荷物のピックアップをするため、数時間出社する予定だが、基本は在宅勤務。
そんな気分が落ちてしまう日に、ふと思う。
「メイクしないで、外出してもいいかも?」と。
でも、大学生のときに言われた言葉をトラウマのように思い出し、いやいやながら準備をする。「メイクしないなんて、女じゃない」という言葉が脳裏をよぎる。

社会人として、メイクは当たり前の身だしなみ。身だしなみとは、相手を不快感を与えないために清潔感のある恰好をすること。雨でアイラインがよれてしまったら、業務とは関係ないところで、評価されてしまう。
もやもやした気分で、メイクを終える。気分が上がるわけでもない。誰かのために、自分がしたくないメイクをするって嫌だ。

ときにお守り、そしてときに重荷となるメイク。ほかの誰かの機嫌を取るためにするのではなく、自分がウキウキするために行いたい。メイクも、ファッションも、ダイエットも、誰かのためではなく、自分のためにするものだ。

自分のカラダと心が心地よくなり、「わたし、最強かも」と鏡に向かって微笑む。そう思わせてくれる頼りになる相棒が、メイクであってほしい。