目覚ましのアラームが鳴る。朝起きる。何気ない日常のスタート地点から「女の子」としての私の1日は始まる。今時の言葉で表すのなら、「モーニングルーティン」といったところだろう。

顔を洗い、化粧水で顔を整え、ボサボサの髪をとかす。整髪料を使って寝癖を直し、ヘアアイロンの熱でサラサラの髪に仕上げる。ポーチに入りきらないほどの化粧品を総動員し、幾つもの工程を経た丁寧な化粧で今日1日の自分の顔を作り上げる。

出かける直前まで今日着て行く服に頭を悩ませ、クローゼットや洋服棚を行ったり来たり。結局、予定している電車にはギリギリ間に合うか、乗り遅れてしまうことが多い。

中学も高校も部活三昧だった私は、当時、学校へ着て行く服は制服かジャージの二択だったし、化粧もしたことがなかったから、大学入学と同時に始まったこのルーティンに慣れるまで時間がかかった。当然そうするものなんだと思っていたのでなんの疑問を抱くこともなかった。

YouTubeやインスタで見かける「メイク動画」「垢抜け方法」のサムネイルがそういった義務感を駆り立てる。女の子の基準なるものが定められているようで、常に実体のない誰かと外見を比較している自分がいた。いつの間にか、気軽にあげていたSNSやプロフィール画像にも自分の写真を使いづらくなっていた。

朝起きてそのまま出かける兄を羨ましいと思うことがある

しかし、政治的で自分とは程遠いと感じていたジェンダーの話題について知った時、初めて、これも日常的なジェンダーの問題のひとつであることに気付いた。友人たちとも「化粧をするのは面倒くさいし、たまに何で化粧する時間と金をかけているんだろうって思うけど、しないと出かけるの恥ずかしいよね」という話をしたことがある。

改めて振り返ると、朝が苦手でスヌーズ機能を使ってもなかなか起きない兄より、私は朝が得意なはずなのに、身だしなみの準備に時間がかかるため、私の方が出かけるのは遅かった。

面倒くさがり屋な性格も影響しているだろうが、私は「女の子」のルーティンを少し重荷に感じてしまう。なぜそう感じてしまうのかはうまく説明できない。ただ、なんとなく重荷なのだ。朝起きてそのまま出かける兄を羨ましいと思う瞬間もある。

しかし、すっぴんのまま外に出るほどの自信もない。満員電車の中で急いで化粧をする会社員の女性や、職場で「なんですっぴんなの?」と言われたらしい社会人の知り合いの姿をみると、この先も、なんとなくこの重荷が続いて行くのかと、ますます重荷に感じられてしまう気がする。

「女性らしくいなければならない」? 固定観念から変えていこう

「ルーティン」という言葉にすべてを集約し、当たり前のことだから、身だしなみはマナーのひとつだから、と言ってしまえば済む話かもしれない。

しかし、考え方は人それぞれだ。モーニングルーティンを楽しんでいる人も、何もしないのを好む人もいるだろうし、朝のコーヒー一杯を大事にしている人がいるように、朝の身支度の時間を大事にしている人もいる。一方で、私のように疑問を持ちながらも周囲の視線や義務感から身なりを整える人もいるだろう。

ならば、ルーティンへのネガティブ思考を少しでも前向きに変え、それぞれの価値観を尊重するのはどうだろうか。

化粧をするのが面倒な日や時間がないときはすっぴんにマスクの着用で、学校や職場の人が女性の気持ちを汲み取り、尊重してくれたら嬉しいし、電車の中での化粧を恥ずかしいと思う人のために顔を隠して化粧ができるスペースや、シェードのようなものを準備してくれたらいいと思う。

もちろん、“TPO”という言葉があるように社会においてのルールはそう簡単に壊すことはできない。だからこそ、女性が日頃から感じている、女性らしくいなければならないというストレスを最大限に抑えるために、男女問わず周囲の視線や固定観念を変える機会をつくり、女性を一人の「人間」として尊重することが重要なのではないだろうか。

自分含め、すべての女性にとってその日1日が楽しみになるようなスタートを切ることのできるモーニングルーティンが送れるような日が1日でも早く来ることを願う。