それはまるで魔法のようだった。
私が初めて「メイク」をしたのは高校を卒業してからのこと。だんだんファッションや美容に興味を持ち出した時だった。

自分に合うメイクなど分かるはずもなく、当時好きだった「病み可愛い」と言われるアイドルの女の子や、「ジェンダーレス男子」と呼ばれる中性的な男の子に憧れていた私は、彼女たちの“真似”をするところから始めた。

メイクをすると別人のようになる私。違う誰かに変身した気分になれる

ネットで「病み可愛いメイク」「ジェンダーレスメイク」といった自分のなりたい像のメイク方法を片っ端から調べては練習していた。最初は中々上手く出来ないものの、何度もメイクの練習をしていくうちに上達していったと自分では思う。

私は自分の顔が嫌いだ。誰かに容姿について指摘されたことがキッカケというよりかは、物心がついた時から自分の顔が気に入らなかった。
「なんで自分の顔はもっとこうじゃないんだろう」「可愛かったら、綺麗だったら、もっと人生上手くいってるのに」などと嘆いていた。

メイクをすると、私はまるで別人のようになる。自分に自信がないけど、メイクをしている時だけは違う誰かに変身した気分になるのだ。
私にとってのメイクとは、「自分の理想に近づく手段の一つ」だと思う。

メイクを始めてからここ数年で、私はたくさんのジャンルのメイクに挑戦した。
韓国メイク・中国メイク・地雷メイク・量産メイク・ギャルメイク……といった数々のジャンルに手を出してきた。

メイクは私にとって戦いに行くときの武器のようなものだ。シンデレラだったら舞踏会に行く時におめかししていく、そんな感じ。
ただ、自分にとって良いと思ったものが他人にとって良いとは限らない。これはメイクだけでなくファッションでもそう。

ある人に言われた「メイク変だよ」心のガラスにヒビが入った気がした

当時私は目を大きく見せたくて、かなり大きめのカラーコンタクトを使い、涙袋にもたくさん色を重ねていた。その時は、自分では良かれと思ってやっていたため、とある人に「そのメイク変だよ」と言われ、投げかけられた言葉に心のガラスにヒビが入ったような気がした。

私は「自分のメイク、変なのかな……」と思い悩むようになった。
けどクヨクヨしていたってしょうがない。私は私が好きだと思うメイクをする。そう自分の心に言い聞かせて、私は練習を重ねた。

確かに、「変だよ」と言われた当時の写真を今見ると、今とは全然違うメイクなので「自分はこんなメイクしていたのか!」と思うところもある。しかし、“その時の私”は自ら好んでそのメイクをしていたのだから仕方ない。

メイクをする上で、「自分の好きなようにやる」「自分の理想を追い求める」ことが私は大切なことだと思う。そしたら自ずと自分に合うメイクもわかるようになってきた。
人生のタイミングで、その時その時に自分の好きなものや憧れがあるし、それを他人が否定してはいけないなと思う。

メイクは何気ない日々も、少しだけ特別にしてくれる魔法だ

そして私はSNSやメディアを見ていて違和感を感じたことがある。それは男性がメイクをすることに関して、「珍しい」という扱いをすることだ。

私がメイクをするようになって影響を受けていた人の中には男の子もいた。
きっと、性別に拘らず「自分のなりたい自分」を描こうとしている彼らの姿に惹かれたのだろう。仮に私が戸籍上男性に生まれていたとしても、きっとメイクをしているだろう。

だから、メディアが「男なのに」「男でも」といった表現や指摘をするたびに心がもやもやしてしまう。その人にはその人の信念だったり理想像があるわけで、外野があれこれ言うべきではない。

また、「女性だから必ずメイクをしなければいけない」ということもないと思う。
人によって興味・関心度は異なるし、それを強要するのも違うよなあ、と私は思う。
私はただメイクをすることで「違う自分になれる」という理由でやっているだけだ。

キラキラのアイシャドウ、透明感のあるカラーコンタクト、色鮮やかなリップ、ほんのりと可愛らしいチーク。たくさんの宝石を今日も私は纏う。メイクをすることで、何気ない日々も、少しだけ特別な気分になれる。
メイクは私にとって魔法なのだ。