化粧は好きだ。
3か月振りに会う大学の友人が楽しみだから。
母の友人がくれた好きなブルーのワンピースに、3㎝のヒール。
ブラウンのシャドウ、とたまにしか使わないLUNASOLのファウンデーション。
マスカラはしない。その分、キラキラしたラメを涙袋に置く。
私は、なりたい自分になるために、気分をアゲるために化粧をする
好きな「誰か」と会う時、女性らしさを身に纏う。
それは、私が選ぶ化粧だ。
私がなりたい自分になるために、私が私の気持ちをアゲるために。
「可愛い」を自分で消費するのだ。図書館で、自分のために化粧をする女の子たちが出てくる本を読んだけれど、私もまさにそれなのだ。
誰かと会うために私が作った私だけの、私なりの「可愛い」を、私と、私が共有したいなと思う人とだけ分かち合う。
昨年あたりから、ドラッグストアで男性化粧品が並んでいたり、町中に化粧をした男性がいたりするのを見かけるようになった。
ネイルをしたり、アイシャドウをしていたり。もしかしたら、今まで私がみてこなかったものが見えてきたのかも知れないけど。
少なくとも、私の視界が届く範囲でメイクがジェンダーレス化してきている。仲間が増えたみたいで、密かに嬉しい。
大学2年生のインターンシップセミナーで、講師の人が言っていたのだ。
「インターンシップ時に、清潔感のあるよう、派手な化粧は控えましょう。しかし、健康的に健康的に見えるようにすっぴんで出かけることはないようにしましょう」
コロナ禍でなかったから、そういって笑った講師の赤い口紅が異様に印象に残った。
オフィシャルな場で分けられた性別が嫌だった。思い出すあの説明会
私は、その年のインターンシップには行けなかった。
「なんかモヤモヤするなぁ。まだ大人になりたくないってことなのかなぁ?」
自分がどうしてインターンシップをキャンセルしたのか、あんまり理由がわからないままだった。でも、このまま参加していたら何かがすり切れてしまいそう……という漠然な確信だけあった。
肌に纏わりつく8月のヌメっとした空気と、よくわかんないけど嫌だなぁという気持ちの感触が似ていた帰り道だった。
あれから3年経って、あの時の理由が分かってきた。
私は、オフィシャルな場に性別を持ってこられるのが嫌なのだ。あの時、あのインターンシップセミナーで、身だしなみの説明が男女別に分けられていなかったら違ったのかもしれない。
……我儘だと思いますか?
強制されたくないだけなのだ。選択肢を増やしてほしいだけ。
就活メイクを否定したいんじゃない。
「女性だから」という理由で強制しないで。
健康的に、明るく見せるための戦略としての化粧ならば、「女性だけ」にするのはもう古いんじゃないの??
「でも、君を判断するのは、その古い価値観を持っているかもしれない歳上の人でしょう?」
……いつまで、そのジメジメしたヌメヌメした上の世代のやり方に絶対に従う風習を続けなければいけないのだろうか。
「その気持ちは分かるけどさ、昔の価値観の人だから、君が我慢した方が楽だと思うよ?」
……そのつらい気持ちをこれからの、私以外で同じようなことを感じた人は背負わなければいけないのだろうか。
「大人になりなよ」
……私が相手にしているのは、変わっていく価値観を無視して自分の価値観を貫き通す年齢だけ重ねた子供なのだろうか。
自分のために化粧はある。女性の化粧はマナーなんかじゃない
目の前にあるビジネスや公の場が、もし大人の場であるのなら。
私は、女性にだけされた化粧など絶対にしたくない。
自分のために化粧はあるのだ、と強く思う。だから、女性の化粧はビジネスマナーと言われているのを聞くとちょっとドキドキしてしまう。その価値観はまだ錆びれていないの?と心臓に鳥肌が立つような感じがしてしまう。
私が子供ですか?それとも、今から私が飛び込もうとする社会が子供ですか?
大人になって、とは言わないから。分かってほしいとも期待していないから。
分かろうとしてほしい。そして、一択しか許されないを無くしてほしい。
こっちでもいいし、君がいいのなら今のままでもいい。
自分のための化粧は好きだ。でも、化粧が強制されるのなら、私は化粧したくない。
化粧が強制されなくなったら……それは私か社会がもう少し成長したら考えようかな。