「ねえねえ、なんで女の先生ってお化粧してるの?」と、ある女子児童に質問をされたのは、給食指導の真っ最中。左目では給食当番の配膳の動きをモニターしつつ、右目ではコロナ禍だから席に座って静かに前を見て……いるはずだが、そんなルールはおかまいなしに、横を向いてぺちゃくちゃとおしゃべりに興じる子どもたちを見て、思わず注意しようとしていた時だった。

つまり、一言で言えば私はその時、かなりいっぱいいっぱいの状態であった。

私は「お化粧をするのはマナー」と薄っぺらい回答をしてしまった

しかし、たとえそうであったとしても「なんていうか、マナーなのよ、マナー。お化粧をするのはね」こんな薄っぺらい、しかも自分では100分の1ミリも信じていない回答を、口にするべきではなかったのだ。

その子が、私のまぶたにうっすらと塗られたアイシャドウをずいっと覗き込むようにして、なぜ私がお化粧をしているのか、と聞いた時に。

あちゃーと、次の瞬間思った。一番やってはいけないことを、してしまった。こんなことを言ってしまった手前、全く説得力にかけるのだが、私は普段から、女だから、男だからという議論や、性別によって役割を決めつけることに、敏感でいたいと思っている方だと思う。

そもそも性って2つじゃなくて、グラデーションだという立場をとっている。だから、子どもたちと関わる中で、ジェンダーに関わること、多様性につながることへの発言は、かなり気をつけるようにしている。それなのに、だ。なんと情けない。大失態。

私の回答に、「ふーん」とだけ返して、何事もなかったかのようにおぼんと牛乳をとり、ご飯とおかずを載せて自分の席に戻ろうとしたその子を追いかけようとして、私ははたと立ち止まった。なんと言って、訂正すればよいのだろう? そもそも、その子の質問に対する私の本当の答えは、なんなのだ?

社会人になると「なんで化粧をしていないんだ」と言われるが、なぜ?

「何のために/なぜ化粧をする/しないのか」というこの問いは、複雑な問題をはらんでいる。女性は様々な場面で、この問いを問われる。

私自身は、そもそも化粧に関する校則が存在していたのかさえ覚えていないという、化粧への関心が低い部類の学生だったのだが、中学・高校時代に校則で化粧が禁じられていた人も多いだろう。それに抗って化粧をし、「なんで化粧なんかしているんだ(色気づいて)」と叱責を受ける、という経験をした人もいるのではないだろうか。

そして、高校を卒業して、進学したり、就職したりすると、今度は突然、化粧をすることが当たり前になって、「なんで化粧をしていないんだ」と言われる。社会人になって、すっぴんで仕事をしていれば、やはり、「なんで化粧をしないんだ」と言われる。これは私も経験がある。

そしてこの問いは、トランスジェンダー女性、トランスジェンダー男性、ノンバイナリー、ジェンダーフルイドの人々にとっては、自分のアイデンティティを脅かすものにもなりうるのではないだろうか。シスジェンダー男性で、化粧をする人も近年増えている。彼らの中にも、「なんで化粧をしているんだ」と聞かれることが怖くて、一歩踏み出せない人もいるかもしれない。

そこまで考えて、じゃあシスジェンダー女性である私が、化粧をする意味ってなんなんだろうか? と考えた。たどり着いた答えは、「私がしたいから、している」だった。

全ての人が「自分のために」化粧することのできる社会になってほしい

今日はブラウンのパンツと黒のTシャツを合わせたい気分だから着ているとか、今日はドットのプリーツスカートを穿きたかったから穿いている、というのと同じように。私は、私の着たい服を身につけるように、私のしたい化粧をしている。

私の本当の答えはおそらくこれなのだけれど、でもそれは私がたまたま、社会的なマジョリティである、シスジェンダーだったから簡単に言えることなのだと思う。

明日、登校してきた彼女に、私はなんと声をかけよう。「この間の質問だけれど、私は私がしたいから、お化粧をしているんだよ。でも、朝時間がなくて、しない時だってあるよ。xxも大きくなって、お化粧したいと思ったら、してもいいし、したくないと思ったらしなくていい。それは、周りの人たちも、みんな、おんなじなんだよ」。こんな感じだろうか。心許なくて、誰かに採点してほしいくらいだけれど、これが今の私が彼女にあげることの出来る、精一杯の答えだ。

「誰のために」や「何のために」を問うことも、問われることもなく、全ての人が、「自分のために」お化粧することのできる社会を目指して、なんて言ったら、ちょっと仰々しいかもしれない。

でも、私は「自分は何をしたいのか」を考えることのできる人、そして「自分がそうしたいからする」ことのできる人を育てていきたい。そしてそういう人たちを許容する社会を、一緒につくっていきたい。そのために今、私にできることを、少しずつやっていこうと思う。