“メイクはマナー”。日本の現代社会では、まだまだ物議をかもしているテーマだ。

“たしなみ”としてのメイクは、それぞれの価値観が尊重される風潮になってきているが、企業の場や職業によって求められるメイクの強制度は、まだまだ極端に異なっているのが実情だろう。

私の職場は病院で、時間がある時はばっちり「カラーメイク」をする

私の職場は、マナーとしてのメイクがささやかれることはあれど、華美なメイクは好まれない。ファンデーションだけの人もいるし、すっぴんの人も他の職場に比べれば圧倒的に多いかもしれない。基本的にメイクが規定されていることはなく、口出しをする人もいない。

私の職場は、病院。メイクは患者さんの信頼と安心を得るのに妨げにならなければ、自由だ。実際、病院のスタッフの顔を見てみると、マツエクをしてアイラインを引いてメイクばっちりの人や、はたまたコンサバメイク、ノーカラーメイクの人も。さらによく見ると、毎日すっぴんの人や、当直明けの疲れ顔のすっぴんの人もいる。

私も毎日忙しさによってバチバチのカラーメイクからすっぴんまで幅があるが、職場の人・患者さんを含め、一度もメイクに口出しをされたことはない。もちろん、一見して懐疑心を抱いてしまうような金髪やどぎついカラーコンタクトはNGなど、ある程度の常識が求められているのも事実だが、医療従事者にとっても患者さんにとっても、メイクよりも信頼に足る人物像であるかが重要な現場だ。

かくいう私は、メイクが大好き。あまりに華美なメイクにならないように気をつけてはいるが、基本的に時間がある時は毎日ばっちりカラーメイクだ。

子供の頃病院は嫌いだったけど、赤い口紅をつけた先生が大好きだった

学生の時は、コンサバメイクかすっぴんが基本だった。すっぴんすら真面目なイメージを形成できる場所なのだ。

しかし、今はカラーの主張を恐れない。毎日今日はどの色にしようかしら、どんな質感にしようかしら、どんなグラデーションにしようかしら、とアイカラーパレットをひとしきり眺める。そして、お気に入りのリップを一塗り。ゆとりのある朝に、きちんとメイクをするその15分が私にとっては幸せだ。

自分の幸せとは別に、私がばっちりメイクに誇りを持っているのには理由がある。それは、私が子供だった頃の記憶。私は小児喘息を持っていて、よく病院に行っていた。発作を起こして入院することもあった。

しかし、病院嫌いは子供のお約束。いつだって病院に行くのは怖かったし、嫌だった。そんな私を病院につれて行く母のお決まりの誘い文句は「ほら、くちべに先生に会いに行こう。今日はいるかな~?」だった。

実は私には大好きな先生がいて、その先生に会うのを楽しみにしていたのだ。真っ赤な口紅を塗ったお医者さん。「くちべに先生」と呼んでいた。今ではその顔も名前もはっきりしないが、いつでも笑顔で可愛がってくれる真っ赤な口紅のその女医さんが、私は大好きだった。

真っ赤な口紅と病院。とても馴染まないその2つのイメージが相まって、幼い私が病院に行く恐怖に打ち勝つ支えとなった。そして私の憧れとなり、夢となり、私を職場としての病院へ導いた。だから私は、病院にメイクをして行く。怖気づくことなく、カラフルなメイクを。とても元気なメイクを。

メイクは私に活力をくれる。だから、私は「その力」を仕事で返したい

メイクは楽しい。メイクは私に活力を与えてくれる。毎朝幸せをチャージして、きちんと仕事をする。仕事に真摯に向き合う。その中で誰かに私のエネルギーをおすそ分けすることができたら、と思う。

味気のない透明な液体や白い粒からは得られない、温もりのあるこのパワーを。殺風景な病院だけど、私のメイクが何かのきっかけで、誰かの希望を生み出すことがあれば嬉しいじゃない。

いつかメイクが自己満足の域を超えるのを祈りながら、今日もマスクの上からひっそりと、元気と勇気をふりまきながら仕事をしている。