私は、常に“もう少し”足りない。

もう少し賢かったら、考古学者になりたかった。
もう少し英語が出来たら、宇宙飛行士になりたかった。
もう少し運動ができれば、中学や高校でも全力で続けたかった。
もう少し細ければ、ショートパンツを穿いて脚を出して出かけたかった。

もう少し可愛かったら、アイドルになりたかった。

何度願っただろう。生まれつきの二重で、もう少し可愛かったら…

「もう少し○○だったら」私が物事をやめるのに使ってきた、体のいい決まり文句だ。
もう少し。もう少し。もう少し。
だんだん伸びているゴールに気づけずに、ずっと走り続けている感覚と似ている。

その中でも飛び切り、今の私に影響している決まり文句がある。
それは「もう少し可愛かったら」だ。
具体的にいうと、もし私が生まれつきの“二重だったら”。

私は人生の半分は、目と向き合ってきた。
私は一重だ。それが悪いこととか、それが悲しいことだとは思わない。
ただ一重である自分を、私は受け入れられなかった。
どう考えても、二重にしたほうが私は自分を「可愛い」と感じる。それが悲しい。悔しい。
だから、私は整形する。
もう自分が一重なことで、あきらめなくていいように。
これから先、私が私をもっと愛してあげられるように。

アイドルになりたかったけど、「すっぴん」で応募できなかった

つい最近といっても、2年くらい前の話になる。
アイドルを好きじゃなくても知ってる人が、多いであろうアイドルグループの新メンバーが募集された。
小学生の時から憧れたアイドル。正直、めちゃくちゃ応募したかった。
でも、できなかった。応募する画面までいった。名前も住所も個人情報を全部打ち込んだ。
けど、最後の写真だけがどうしても送れなかった。びっくりするほどに指が動かなかったことをすごく覚えている。

「カラコンつけないで」「メイクもしないで」と、写真を撮る際の注意に書かれていた。
それを見て「ダメだ」と固まってしまった。
私にとって、メイクは体の一部だ。外に出て行くとき、していなかったら前を向けない。
ましてや、人様に見せる写真がすっぴんなんて言語道断である。

中学生のときから、可愛くなりたくて動画を見て、見よう見まねで試して何度も繰り返した。成長するにつれて、使えるお金が増えてメイクがどんどん楽しくなった。でも、それと比例するように理想も高くなった。「もっとこうなりたい」「もっとあぁなりたい」と、より具体的に、より理想的にと願った。

沢山悩んで決めた整形。自分を今よりもずっと愛せていますように。

今は、毎日アイプチをしている。
被膜式のアイプチだ。アイプチをうまくしようと思うと、こだわって購入したアイシャドウがどうしてもきれいに見せることができない。悔しい。
アイプチがうまくいっていない日は、目を隠すように前髪をおろしてしまう。悔しい。

整形は、ちょうど2年前一度決心したが、怖くてやっぱりできなかった。
もしかしたら、今回も怖くなってしまうかもしれない。
自分の顔にメスを入れることが、1ミリも怖くない人なんていないだろう。
ただ麻酔をして、目をつぶって待つだけだという人もいるかもしれない。
私はそれでも怖い。何にビビっているのかはわからない。だから余計に怖いのかもしれない。

人生の半分を使った悩みが、数十分でなくなるかもしれない。
でも、きっとそんなにうまくはいかないだろう。
たくさん悩んだけど「これが最良の決断」とは、まだ言えない。

整形してすべてが好きになる分けなんてない。わかってる。
それでも、整形した私が今より前を向いて笑っていますように。
もう二度と、可愛くないからと夢をあきらめませんように。
私が、自分を今よりもずっと愛せていますように。
もっと私が強く美しく生きれるように。

これは誰でもない私のための奮闘日記だ。