私が高校生だった頃。「まつ毛、ズレてるよ」と、同級生の男子に言われた。「あの先輩、チーク濃すぎない?」と、周りの女子達が囁いていた。
当時はみんな、幼かったんだなぁ……。どちらもあまり愉快な記憶ではないので、ここで葬らせて頂きます(合掌)。

美白の概念は変わってきたのに、シミ・ソバカスについては変わらない

既に大人になった私の周りには、他人のメイクに関してとやかく言うような、不躾な人はいない。ありがたい。しかし今の私のメイクは、また別のものに縛られている。
今の私のメイクを縛るもの、それは“美白”という概念だ。

私はそもそも、色白な方。しかし幼い頃から、シミ・ソバカスができやすい体質だった。
同じ条件を抱えている方には、おそらくピンときたことだろう。
“色白×シミ・ソバカスができやすい=シミ・ソバカスがめっちゃ目立つ”という、悲しい方程式が。私は常にその事を気にしながら、メイクをしている。

最近メディアでは、“美白”という概念についての見直しが行われている。
「皮膚の色は人それぞれ。白いことが美しいという価値観はよろしくない」という動きがあったり、「美白と書かれた商品の中にも、有効成分の種類や含有量に大きく差がある」といったことが言及されたり。
“美白”という言葉が話題になることは、ここ数年増えてきている気がする。
しかし、「シミ・ソバカスがない肌が美しい」という価値観に対する疑問の声は、あまり上がってこない。
とはいえ私も、赤毛のアンのような自分の顔を、まるっと全肯定するようなメンタルは、持ち合わせていないのである。

美容技術や化粧品質は進んでいるけど、肯定的に自分を捉える術はない

今のところは精々、「これは子どもと外でたくさん遊んだ勲章だから」と思い込むくらいしか、肯定的に自分を捉える術はない。結局いつも、ベースメイクのトーンアップ効果に頼ったり、コンシーラーで隠したりしている。写真アプリのフィルターで、ふんわりと美化された自分の肌を見ていると、むしろ悲しくなったりもする。

歳上のママ友に会えば口癖のように、「とりあえず日焼け止めだけでも塗っといた方がいいよ!」と言われる。私も美容雑誌に“美白”という言葉があれば、思わずページをめくる手が止まる。
最近「既にあるシミにも効果がある」と謳った商品も増えてきた。
薄づきで使いやすいコンシーラーも、プチプラで手に入るこの時代。企業努力に感謝である。

しかし、日差しは年々強くなってきている。紫外線は年間を通して、私の皮膚をいじめてくるのだ。私の顔が日の光をさんさんと浴びながら、気持ちよく皮膚呼吸できる期間なんて、残念ながら令和には存在しない。

今後私が一切、シミ・ソバカスを作らないというのは、たとえ未来の技術を用いたとて、不可能だと思う。いくら日焼け止めで予防したって、できたものをレーザーで消したって、コンシーラーで隠したって、“シミ・ソバカスができやすい”という私の体質は、変わらないのだから。

素顔に近い私のことを「綺麗だ」と思ってもらえたら、嬉しい

ネットを見ていると、海外のファッションブランドでは、ソバカスがあるモデルさんも活躍している。彼女達はナチュラルな服もモードな服も、素敵に自然に着こなしている。なんというか、みんなとてもツヤツヤして見える。
“老けて見える”なんてことは、一切ないのである。

10代の頃からシミ・ソバカスと共に生きてきた私にとっては、この顔の斑点が“年齢を感じさせるアイコン”だということにも、納得がいかない。若い子が使う写真アプリにも“ソバカスフィルター”があるけれど、あれ、かわいいじゃんね。
シミもソバカスも受け入れられる、そんな未来が、いつか来たらいいのになぁ。

今の私に「シミ・ソバカスがあるね」と、不躾な言葉をかけてくる他人はいない。しかし、“美白”という概念と折り合いをつけられていないのは、私自身だ。
私のメイクを縛っているのは、私自身の美的感覚と、そして現状日本に広く存在している美的感覚なのだと思う。

メイクは“なりたい自分をつくる手段”だけれど、せっかくだから素顔に近い私のことも「綺麗だね」と思ってもらえたら、嬉しい。
だから私は、“美白”業界の技術促進を望むと同時に、日本の美的感覚のアップデートも、待ち望んでいる。
私は、“美白”に縛られるメイクを、いつか終わりにしたいのだ。