私の体の好きなところ。自慢に聞こえてしまいそうだけど、手足が長いところ。
学生の頃は今より痩せていてそれが際立って、よくスタイルが良いねと褒められていた。
逆に嫌いなところは、がたいの良さ。
自分自身初めは気づかなかったけれど、ある時、友達と写っている写真を見て驚愕。なんて身体の大きいこと。一回り、いや三回りくらいな大きさ!

窓に映る自分を見ては、がたいの良さを隠すように身をかがめて歩いた

大学生の時にその事実を知り、それからというもの、電車で地下鉄に乗って立った時、窓に映る姿を見るとつい隣の人とくらべてしまう。

それから少しでも小さく見えるよう猫背になっていた。姿勢が悪いと、老けたり自信がなさそうに見えたりする。その上、肩が凝る。健康上も良くない。
デメリットばかりなのに、当時は少しでも華奢に見えるようにと身をかがめていた。特に好きな人がいる時は、尚更だ。私の中で勝手に男性は小柄な人が好きだろうと思っていた。自分より小さい方が本能的に守りたくなると思っていたから。

本当は自分の好きな服を着たいのに、他人の目を気にしてしまう

洋服を選ぶ時も似たようなことが言える。
男性目線、女性目線あるいは自分目線かで選ぶ服は変わってくる。男性目線は、彼氏、気になる人が好きな系統に合わせたり、大半の男性が好きそうなファッションでモテを狙う。
女性目線は女性の目でかわいい、かっこいい、きれいに映るかで判断する。女性は男性と比べると結構シビアだと思う。ファッション雑誌に載っているのを真似れば、おおよそ安心だ。

自分目線は女性目線と被る部分があるかもしれないが、100%同じではないだろう。自分自身が、テンションが上がる、心地良いと思ったものを着る。髪と同様、自分というものを表現できる。目に見えて自分らしさが出る。自分の気持ち100%で選んだものは、ストレスなく自分を元気にしてくれるツール。

でも、そうしたいけれどできない人が大半ではないか。少しでも周りを気にしてしまう。
人の視線は、やっかいで、自分の本音を殺す。

周りの視線は、良い刺激。きれいになるための努力に変えて

だがその視線は、時として良い方向に働く。それは自分をきれいにしてくれる魔法。
何かで見た記事に、女優など人に見られる仕事は、人に見られているという意識があるので 「きれい」を維持できる、と書かれてあった。どうせ見られるなら「きれい」と思われたい。そういう気持ちから、自分の「きれい」になるための努力を怠ける心に、活を入れる。

「きれい」というのは顔に重点を置かれがちだが、体型、所作、品あるオーラを含め総合的に判断されると思う。「きれい」になるため、維持するためには並ならぬ、あらゆる努力が必要なのだ。

見られているという意識がなければ、きれいになりたいという気持ちは少し薄れてしまうかもしれない。視線はプレッシャーと感じるのではなく、良い刺激になっている。ネガティブに捉えず、ポジティブに考える。これが大切だ。