「There is always light behind the clouds(雲の向こうは、いつも青空)」。これは「若草物語」で有名なアメリカの小説家、ルイーザ・メイ・オルコットの名言である。
私の人生も苦しい時期のあとに「幸福な時期」が訪れることを経験した
私はこの言葉が好きだ。何故ならば、他人事とは思えない親近感が湧いてくるからである。もう少し詳しく記すと、私の人生においても挫折・苦労といった「悩み苦しい時期」のあとに、喜びや達成感といった「幸福な時期」が訪れることを、幾度も経験したことがあるためである。
恐らくこのエッセイを読んでいるあなたも、1度や2度の挫折や苦労経験をしたことがあるのではないだろうか。私も前述のとおりそのような経験をしたことがあり、実際にこの言葉と出合った時はちょうど浪人生活を送っていた。
浪人時代についての詳細は以前エッセイで述べたため割愛させてもらうが、ともあれ一生懸命もがき、悩み、全力を尽くしてきたことがどうも上手くいかずに苦しんでいた時期だった。なかなか結果がを出せないこの暗闇はこの先もずっと続くのではないか、出口はないのではないかと不安になったことも多々あった。
当時はこのままずっと自分の運命は変わらないのではないかと度々涙したが、長い苦労の末に待ち受けていたのは「人生で1番キラキラしていた」と言っても過言ではないほどに充実した大学生活だったのである。
人生で1番キラキラしていた大学生活のなかにも苦しい時期はあった
一方で、大学生活のなかにも苦しい時期は何度かあった。私はもっぱらシェイクスピアの戯曲が好きで、大学時代は有志の学生たちで同作家の劇を作り上げる活動に参加していた。
そこでは皆真剣に演目と向き合うため、ぶつかり合うこともしばしば。「逃げ出したい」「辞めたい」と思ったこともあり、メンバーが悩み涙している場面もよく見かけた(実は私もそのうちの1人である)。
劇中のセリフは全て、シェイクスピアが戯曲を書いた当時の英語。私は「キャスト」と「日本語字幕作成係」を兼任していたのだが、夏休みも返上で練習に練習を重ねても、英語の発音や、キャストのセリフに合わせて字幕を出すタイミングなどがなかなか納得のいくものにはならなかった。そしてその焦りから、このまま本当に本番を迎えられるのだろうかと不安にも駆られた。
しかし、自分の心配とは裏腹に本番は想像以上にうまくいき、「悔し涙」は「感激の涙」に変わっていた。今では、「あの時にまた戻れたら」と時々妄想をしてしまうほどに美しくキラキラと輝く思い出となっている。
私も経験したからわかる。だから今苦しんでいる人が報われますように
私の場合はどちらも自分が選んだ選択で、自らの意志で苦労をしに行ったものばかりである。故に、「好き好んで悩んだり落ち込んだりしたのだ」と言われても否定はできない。
そのうえ、ともすれば今のご時世は私の経験とは比にならないような苦しみの中にいる人はたくさんいるかもしれない。私の経験を「そんなの人生の曇り空になんか含まれない」と思った人もいるだろう。
そのような深刻な悩みを抱え日々過ごす人たちに向けて「今悩んでいても、辛くても明日は絶対晴れる」なんて無神経な励まし方はしたくはない。いや、すべきではない。だが、そっと願いたい。
今苦しい思いをしている人たちや、どこかで“悔し涙の雨”を降らせている人たちがいつか報われ、心に“太陽”が現れる日が来ますように、と。