「働く」ということは自分の労働力をお金に変えること。
自分が自立して生きていくためにお金は必要である。だから働く。それが「働く理由」。
そう思って働いてきた。

朝、重たい気持ちで出社する。満員電車とまではいかなくても、やっぱり朝は混んでいて、ゆっくり座れることなんてない。無意識のうちに乗り換えて、ほぼ意識のないまま気が付いたら会社のデスクの前にいる。そうしたらもうあっという間。あっちで呼ばれ、こっちで呼ばれ、座って一息つく時間もない。朝マグカップに入れたコーヒーはもう冷めているし、入社したての頃に買ったかわいい北欧風のマグカップには茶渋がこびりついて、貫禄がすさまじい。
本当に意味があるのかな、と疑問に感じながら言われたままやるしかない仕事をこなし、生産性のない愚痴に適当に相槌を打ちつつ、会議で発言したって私の意見なんて誰も聞いてないので黙って過ごし、いつの間にか定時が過ぎ去り、気が付けば周りの人はまばらなのに、自分の仕事はまだ終わっていない。

生活のために働くのも大事。そう言い聞かせる日々の中で、目に入ったもの

目まぐるしい毎日に、少しずつ息が苦しくなっていた。
自分はこのまま、毎日を忙殺されながら、やりがいも生きがいも感じないまま、特別なことなんて何もない、平凡な人生を送るのだろうか。そう思うとぞっとした。
でも仕方がない。みんなそうやって生きているんだから。
生活のために働くのだって、大事なことだよね。
そうやって言い聞かせながら仕事を続けた。毎日、毎日、その繰り返し。

疲れ果ててようやく迎えた休日、ぼうっとテレビを見ていると、アニメが始まった。普段はほとんど見ないけど、変えるのも面倒でそのまま見ていた。
バレーボールのアニメだった。バレーボールは長身が有利なスポーツであることは、運動に疎いわたしでも知っていたが、主人公は小柄だった。

自分に身長や圧倒的な才能があれば、と憧れや嫉妬を抱える主人公。
周りのスーパープレーに魅了されながらも自分の平凡さに絶望と悔しさで俯く控えの選手。
今までまっすぐに努力を積み重ねてきたのに敗北した悔し涙を浮かべる選手たち。
それでもびっくりするくらい一生懸命ひたむきに練習する。自分にないものを悔しがるより、自分のもっているものを磨いていた。

そんな彼らの悔しい気持ちや夢中になって突き進む姿が、情けない日々を送る自分にささった。

現実はアニメの世界とは違う。わかっていても憧れてしまう

そういえば子どもの頃は、ちゃんと将来の夢があったし、学生の頃は部活に夢中になっていた。でもそのうち現実が見えてきて、自分の生活は自分で責任を持たないといけなくなるし、生きるために稼がないといけない。
そういう「夢」とか「やりたいこと」と「働くこと」とは別なんだと思うようになった。

現実はアニメや漫画の世界とは違う。うまくいかないことだらけである。「特別」は確かにわたしとは程遠く、「平凡」という言葉のほうが似合う。
分かっているけど、画面の中で、汗だくでボールを追う必死に姿に心が沸き立った。
ハンデがあっても、自分には「特別」なんてなくても、平凡だったとしても、努力の結果負けてしまったとしても、そんなことはお構いなしに自分の決めた道を夢中でひた走る。
「ああ、わたしもこんなふうに毎日過ごしたい。」
そう思ってしまった。

やっぱり「生活のためだけに働く」ことは無理なんだ

もちろん生活していくために働いている。でも「生活のためだけに働く」ことは無理なんだと思う。毎日毎日、「仕方ない」を繰り返して過ごしていくことに、わたしはやっぱり納得できない。

「夢」や「やりたいこと」を仕事にする。甘っちょろいと思うけど、自分にとってごはんを食べることほど当たり前で努力を苦労と感じないこと、どれだけやっても満足しない、ずっとやっていたいこと、それが他人の役に立って、お金に変わって、衣食住として自分に戻ってきたらどれだけ幸せなことだろう。

なんだか怖くて顔を出さないだけで、本当は誰しも「やりたいこと」があるんじゃないかと思う。高校生がバレーボールやるみたいに、夢中になって一生懸命になれて、悔し涙流すほど必死になれるものが、きっと自分にもある。

今までのわたしの働く理由は「生活のため」だった。
これからのわたしの働く理由は「夢中になれることをやるため」。
これはわたしの決意表明。