コロナ禍での成人の日を迎えたギリ20世紀生まれ。テレビに映る開催された成人式の様子。インスタに上がる晴れ着姿。世間では友達と会って喜びを分かち合うのが"普通"っぽかった。
 その一方で、私は全てを眺めるだけの1日を過ごした。
 もちろん、友達と会いたくなかったわけじゃない。ただ、「今は会うべきじゃない」という自分の気持ちを貫いただけだ。
 でも、その道を選ぶにはだいぶ葛藤した。

コロナ禍での成人式。再会を楽しみにしていたけど……

 私にはたった1人、小中高と同じ学舎で過ごし、今も同じ地元に住む友人がいる。地元の小学校を卒業すると同じ中高一貫の女子校に通い、別の大学へ。近くに住みながらも卒業した後からずっと会えておらず、高校が開催する成人式での再会を本当に楽しみにしていた。
 しかし。

 「病棟実習もあるし、成人式は絶対行かない」

 彼女は看護師を目指していた。だから、去年の秋頃にはもう会えないと伝えてくれていた。ほどなくして、高校からも「成人式を無期限で延期する」と連絡が入った。
 残念で悲しい気持ちにはなったけれど仕方ない。医療従事者の方の姿を日々見つめ、その道を目指す彼女の姿を思い浮かべたら、当たり前のことだと思えた。
 それでも残念だなと思う気持ちは、2ヶ月かけて整理をした。
 友達に会うのはやめよう。皆もきっとそう思ってる。
 そう思いながら。

 肩の下まで長く伸ばしていた髪をショートにし、心では泣きながら着付けのキャンセルの電話をいれた1月の頭。今度は当時の部活のグループから連絡が入った。

再会の誘いに「私は家で引きこもるよ」。彼女はブレなかった

「成人の日、みんなでちょっと会おうよ!」

 話をよく聞けば、みんな着付けをキャンセルせずに大学の友人や高校の同級生と出かけるのが"普通"なようで、各々が友人たちと出かける隙間時間に会おうという誘いだった。
 あれ? 髪をバッサリ切った私は? 着付けをキャンセルした私は? もしかして"普通"じゃない?

 成人式もないし、私たちが暮らしているのは緊急事態宣言も出された地域。だから今は行かないべきだと思う。家族ならともかく、着付けから友達に会いに行くまで不特定多数の人に会いすぎる。
 でも、会いたい気持ちはあるし、ここで行かないと言ったら捻くれ者に思われるかな。晴れ着姿のみんなのインスタのストーリーや投稿を見て泣いてしまうかもな。
 自分でどうしても決めきれなくて、彼女につい打ち明けてしまった。

「"みんな"が会おうって言うんだけど、どう思う?」

 ぽつりとこぼしたLINE。怒られるかな。案外「私も誰かと会う」とか言われるのかな。色々な思いをのせて聞いた問いに、1日もたたないうちに彼女は答えを返してくれた。

「"私は"家で引きこもるよ。今会うのは間違ってると思うから」

 彼女のブレない信念にハッとさせられた。
 同時に、家にいるという選択をするのは私だけではないと、「会わない」ことを選んでも仲間がいるのだと思わせてくれた。「それが"普通"だから」「"みんな"がそうだから」といった言葉を理由に、自分の行動を決めなくても良いのだと教えてくれたようだった。
 そもそも、コロナ禍が普通じゃないのに、なんで私は"普通"を求めてしまっていたんだろう。初めてのことに"普通"なんて基準は存在しないはずだ。

「成人の日」という節目の日を、それぞれ悩みながら選択した

 成人式が無くなった中でも友達同士会った人を責めることはできない。いろんな事情があって会う人がいるし、人の行動に指図できるほど私は偉くない。節目の日を後悔したくない気持ちは同じだから、一番納得できる選択をするべきだと思う。

 けれど、もしこの文を読んだ人の中で、成人式の日に家にいるのは私だけかもしれないと思った新成人の方がいたら、1人じゃないと教えてあげたい。「緊急事態宣言が出されてるから」「大切な家族の健康を考えて」、どんな理由であっても「友達と会わない」選択をしたことは決して間違ってなんかない。あなたの選択は決して"普通"から外れたおかしいものなんかじゃない。
 世の中には既に、私と私の友達という2人の仲間がいるから。

 "みんな"が悩んだ上でそれぞれ選択した道で過ごした大切な節目の日。
 その過ごし方に"普通"なんてものはない。
 でも、いつの日かコロナなんて忘れて、笑顔でその節目を噛み締められる"普通"がやってきますように!