「元気にしている?」という言葉。
友達からもくるし、私も送る。
「元気にしてるよ!」と返すのがお決まり。
でも、本当に元気にしていても元気じゃなくても、「元気にしてるよ!」と返してしまうことが何故多いのだろうか……。
コロナで「元気」のためにすることが、大きく変わってしまった
私が思う「元気」は、大半は「メンタル」に大きくかかわっていると思う(もちろん、体の調子も第一)。
私が元気がなくなることは、大体は仕事でのミスで凹んだり、人間関係にモヤモヤしたり、自分のダメなところに落ち込んだりと……。
回復する方法はたくさんあったし、自分の中で無意識にしていたことが、コロナが広がってしまったからだが、「元気」のためにしていくことが大きく変わってしまった。
今までは、旅行にいったり友達と会って美味しいものを食べながら色んなことを話すことによって「私」でいることができた。
特に外にでかけていつもの生活圏では違う場所にでかけることが、私にとってリフレッシュでもあり、感性が磨かれていると実感できるからだ。
今はどうしてもできないことが多い。
家にいることが増え、また仕事で実家を離れることになって、一人で過ごす時間は有意義でもあるが、仕事以外で人と話すことが格段に減ってしまった私は、1人で「元気」でいることが難しいことに気づいた。
「頑張ろう」と思えば思う程モヤモヤし、ふとしたときに悲しくなる
それなりに向上心はあると自負しているので、せっかく時間があるからこそ、「資格や勉強をしなければ!」と思い、参考書を読んで勉強して休みの日・夜の時間に費やしたが、
「今後どうしたいのか」
「今の自分にはスキルが足りない」
「今後の仕事・生活をどうしよう」
と考えてしまい、それがかえって自分自身を追い詰めてしまった。
時期も悪く、ちょうど冬の寒く天気も悪かったので、太陽にも浴びれずにいる日が増えてきた。
少しずつ、精神的にも体力的にも違和感を感じるようになった。
「頑張ろう」と思えば思う程、体の奥からモヤモヤが止まらず……ふとしたときに悲しくなる気持ち。
メンタル崩壊の一歩手前までいくところだった。
タイミングよく実家帰ることができたので、定期的に帰ることでメンタルキープにもつながるので、今でも定期的に帰るようにしている。
今回のことで気づいたことがある。
「本当に今の私はこれがしたいのか」と問うこと。
自分が何をしたいのか、食べたいのか、寝たいのか、テレビをみたいのかと自分の本当の本音がみえてくる。
「あ、今日は掃除してDVDみたいんだな」とか、「今日はとことん寝て友達と電話したいんだな」など。
何度も繰り返すことで、コロナ禍前の「元気な自分」を取り戻すことができた。
たまに「あ、危ないな」と思うと、「無」になることで、追い詰めることもなくなった。
コロナ禍で気持ちが下がりやすくなってしまうことが増えたと思う
「元気」にいられるのは、「素直な自分でいること」
ずっと「元気」でいることは難しい。
そんなときは、SNSもみないでひたすら好きなアーティストの音楽とライブDVDを見て
とことん泣く(涙活がいいというのはこういうことかもしれない)。
自分の心の底に眠る気持ちを外に出すことは簡単のようで難しい。
メンタル崩壊一歩手前のような気持ちにはなりかけることは度々あるが、「かがみよかがみ」に出会えたことは変化の1つ。
仕事・過去・恋愛と色んなことをエッセイを書くことが増えたことで、過去の嫌な思いががんじがらめになっていたのが解放されたり、自分の思いがわかってくれる場ができたことは大きいことだと思う。
「かがみよかがみ」を見つけてエッセイ書いてみよう!と決めたあの時の自分に感謝したい。
今回のテーマを、気持ちを文字に起こしていくうちに仕事や私生活にもどうしたいのか何をしたいのか、今日は何をしたいのかみえてくる。
「元気」にいられるのは、「素直な自分でいること」。