摂食障害。一括りにそう言っても、全く食べ物を摂取しない拒食症、異常なまでに食べてしまうし過食症、そして食べては吐いてを繰り返す過食嘔吐があり、私は過食嘔吐で日々苦しんでいる。

自分を苦しめるけど食べ続けたある日訪れた限界。全て戻してしまった

ことの始まりは高校1年生。
打ち上げなどで食べ放題に行くことが増え、調子に乗ってとりすぎたせいで残ってしまうごはんは、なぜか私に全て回ってきた。
絶対に食べなければいけない訳ではなかったけれど、空気を悪くしたくなかった。
はち切れそうなお腹にケーキやパスタを無理やり突っ込んで、次の日に迎える朝は地獄だった。

一晩経っても消化しきれない食べ物たちが目覚めの私の気分を悪くさせ、トーストのいい匂いが逆に苦しい。
「朝ごはんいらない」
そういうと、「体調悪いの?」と、母は言う。
「体調悪いなら尚更よ、ちゃんと食べて」

姉が拒食症で入院したことがあるせいか、母は私が食べないことを異常なまでに恐れた。
けれど、私には逆にそれが辛かった。
食べれば自分を苦しめるけれど、食べなければ母が悲しむ。
結果、昨日のパスタの残る胃に更にバターの乗ったトーストを入れ、重い体をノタノタと動かしながら、胃が消化し切ることを待った。

高校1年生の誕生日、学校でケーキやらお菓子やらで祝われ家に帰ると、案の定、家にもとんかつにケーキとフルコースで用意され、その日も無理やり一人分を完食したが、流石に体に限界が来たようで、気分が悪くなり、全て戻してしまった。

「これだ」と閃いた食べては吐いてを繰り返す日々は地獄の始まり

その時に"これだ"と閃いた。
それが地獄の始まりだった。
打ち上げでバカみたいに食べては、こっそりトイレで吐き、また食べる。
吐くことによって起こる寒気と頭痛でフラフラになりながら帰宅し、また母のご飯を食べた。

家ではシャワーで吐く音を消しながら何度も吐いた。
どうしても吐けない日は、下剤をのみ、体を軽くしたが、耐えきれず脱水症状で倒れたこともある。

それでもなんとか大学生になり、お金を手にした私の行動は更にエスカレートした。
食べている最中は別の人が乗り移ったようで、自分のコントロールが効かず、止めに入った両親に暴力を振るったこともある。

"いつか両親を殺してしまうのではないか"
そんな不安から一人暮らしを始め、お金と食べ物に追われる日が続いた。
朝になると今日はなんだか吐かずに1日を終えれる気がするのに、一度食べだすと止まらない。そんな状態がずっと続いている。

吐けないことが何より辛いから、行動範囲のトイレの場所はだいたい把握しているし、吐くための水分欲しさにトイレの水を飲んだこともある。
髪ピンひとつ買うお金は勿体無いと思うのに、毎日食費には何千円使う日常だ。

思いつく限りの手段も状況は変わらず。こんな日々がもう12年になる

卒業後、彼と同棲を始めたことによりピタッと症状は治まり、彼により治ったものは彼がいなくなると再び姿を表し、3年分を取り戻すかのように猛威を奮った。
ひどい時は24時間以上食べ続けたこともある。
寝たいのに空腹で寝れなくて、寝るために一口食べればそれが引き金になってたくさん食べて吐く。

吐くだけでもしんどいのにそれに睡眠不足も加わり、目眩と頭痛、寒気と手足の痺れ、耳鳴りがしている状態が普通となった。
それだけではない。
昔は綺麗ねと褒められた歯並びも、酸によって溶かされて、前歯はすきっ歯だし、奥歯も食事中にかけて2本失った。

歯が欠けるたびに恐怖を感じるのに、食べたい気持ちはもっと大きく、食べるお金欲しさにありとあらゆる手段を使ってお金を稼ぎ、それでも足りず借金は膨らむ一方。
こんな状態なら生きている方が辛い。

そう思い、究極の選択に出たこともあるが、神様は優しくなかったようで、1週間ほどでこちらの世界に戻ってきた。
ありとあらゆる病院に行ったが、症状は治らず、シェアハウスに住んでみたり、吐けないよう長い爪を装備してみたり、思いつく限りの手段を尽くしたがそれでも何も変わらず、"最後の砦だったのに"と落ち込む。
そんなことをもう何回も続けている。
もう12年になる。

同じ病気で苦しむ人に仲間がいると伝えたい。そんな想いで書いている

これだけ長い間苦しんで急に治ったり、それとも治らず何十年も苦しんだり、未来は分からない。
それでも私はいつか明るい未来が待っていると信じているし、そんな明るい未来を信じる誰かに、ここにも戦っている人間がいるということを伝えたい。

そもそも、私が文章を書き始めたのも、同じ病気で苦しむ人に仲間がいると伝えることができたなら。
周りの人に、理解はしてもらえなくても、こんな病気があるのだと知ってもらえた。
そう思ったのがきっかけだ。

いつか子どものために料理を作って、毎日3食家族と共に食卓を囲みたい。
自分の両親とだって恩返しとして、普段食べられないようなお肉屋さんで共に食事をしたい。
そんな日を夢見て、私は必死に生きるのだ。