「いいかい、これは逃げなんかじゃない。あなたがこれからを生きていくための勇気ある撤退なんだよ」。私が歩みを止める決断をした時にいただいたこの言葉を、私は生涯忘れないと思う。

高1のある朝、鉛のように重い身体が学校へ行くことを全力で拒否した

高校1年生の秋のある朝、突然私は学校に行けなくなった。鉛のように重い全身が、学校へ行くことを全力で拒否していた。

理由は今考えても、これといったものが思い浮かばない。人間関係も至って良好だったと思うし、成績も悩むほど悪いわけではなかった。恋に部活に勉強にと、人並み以上に充実した高校生活を送っていたはずだったのに。

それから約半年間、毎朝が、学校に行きたい心と行きたくない身体との闘いだった。私の通っていた高校は単位制だったので、各科目の出席回数が規定より下回ると、進級できなくなってしまう。

どうにか学校に行きたくない身体との闘いに心が勝って、学校にたどり着いたとしても、朝の闘いで体力も気力も消耗してしまって、1日を過ごす余力が残っていない日も多かった。授業の途中で訳(わけ)も分からず涙が出てきてしまったり、息苦しくなってしまったりした。

どうにか高校1年の単位をギリギリで取って2年生に上がったが、毎朝葛藤を強いられることは変わらなかった。授業の欠席が増えると勉強にもついていけなくなったし、周りから「あの人なんで休んでるんだろう」と少なからず思われているだろうと想像して、余計に辛くなる時もあった。

高2の時、学校に通うことも辞めるという選択もできず、苦しんでいた

そうこうしているうちに(あまり詳しくは書けないが)私の身に事件が起こり、いよいよ学校生活どころか日常生活を送るのも難しくなり、精神病院に入院することになった。牢獄のような病棟に2度入院し、退院したころには2年生の夏休みになっていた。

夏休みが明ける前に、私は両親と何度か学校へ行き、担任や学年主任、保健の先生たちと、今後どうしていくかについて話し合った。私の心と身体で、学校生活を送り続けるのは無理だと私自身も分かっていた。

でも高校を辞めるなんて、何か悪いことをして辞めさせられるようなケースしか当時の私は知らなかったし、私の通っていた学校は進学校だったということもあり、周りでも誰かが退学した噂などは一切聞いたことがなかった。高校を辞めるとしたら、大学への進学はどうなるのか、将来職に就くことはできるのか、といった人生のビジョンが全く見えなくなってしまうと思っていた。

高校入学までは、成績も優秀な方だったし人前に立つ機会も多かった私が、まさか高校を辞めるかどうかで悩む日が来るなんて……。通い続けることはできないと分かりつつ、辞めるという選択もできず、苦しんでいた。

当時は高校中退は正直「屈辱」だったけど、先生の一言で前に進めた

そこで学年主任の先生が私にかけてくださったのが、冒頭に書いた「勇気ある撤退」という言葉である。

当時は中退という事実が、正直屈辱だった。でも、先生の優しい言葉は、中退から1年半後に大学受験を目指すことにした時や、2年半後に大学に合格した時、大学で経験したたくさんの元気な時期と元気不足な時期などに、脳裏にいつも響いてくる。

先生はきっと、これ以上私が無理して学校に来ようとしてしんどい日々が続くと、心も身体も修復不可能なほどに壊れてしまうと思って、その言葉をかけてくださったのだと思う。私が歩みを止めたことを逃げでも弱さでもなく、強気で攻めの姿勢の選択だと教えてくださったその先生には、大学を目指しますと報告しに行った18歳の春を最後に、お会いできていない。

あの日の先生の言葉から、人生を他の多くの周りの人たちと同じペースで歩むことだけが正解ではないと知ったし、言葉を選んで大切な人に伝えることは、その人の人生に関わることなのだと学んだ。

大学に入ってからもやはり私の人生は一筋縄ではいかなくて、部活の役職から身を引いたり、卒業を1年遅らせたり、たくさん苦渋の決断をする機会があった。でもあの夏の日、高校の応接室で先生にあの言葉をいただけたおかげで、私は数々の決断を、苦渋の決断かつ前向きな決断と捉えることができている。