「卒業したら、女子高生っていう肩書き外れるよね~」
「分かる~。私たちの価値が下がるよね~」
休み時間の教室で、こんな話題が聞こえてきた。私は、彼女らとそれほど仲が良いわけでもないから聞いただけで終わった。

女性は歳をとることを恐れている。歳をとるってどいうこと?

確かに、世間では女子高生はもてはやされている気がする。女子高生モデル。女子高生ミスコン。JKという言葉までできている。
女性の年に関する話題はまだ尽きなくて、「おばさん」呼ばわりされるのはいつからか。女の子が終わり女性と呼ばれるのはいつからか。色々と、ある気がする。

その中で共通して言えるのは、「女性は歳をとるのを恐れている」ということだ。
その中で1番恐れているのは、「男性に見向きもされなくなること」だろう。
歳をとると、皺やシミが増えていく。肌も、20代の頃とは違うだろう。よく「美魔女」と呼ばれる、歳をとっても美しい人はいるが、それは死ぬ程努力した結果で、若い人が好きな男性は結局、「美魔女」なんて見もしないのだ。

でも、考えて欲しい。そもそも歳をとるとは、どういうことなのか。

外見が変化するのは当たり前。それに伴って内面を変えることが難しい

マリー・ドレスラーという人がいる。彼女は、米国の女優で『醜女の深情』『惨劇の波止場』などに出演し、61歳にしてアカデミー主演女優賞を受賞した。
彼女は、こう言った。

「どれだけ歳をとったかじゃなくて、どのように歳をとってきたかが大事なのよ」

歳をとるということで、外見だけ変化していくのが私は一番醜いと思う。外見が変化していくのは当たり前のこと、それに伴い内面も成熟させることができるのは意外と難しい。
皺やシミだらけでも、それが出来る人の方が、誰よりも美しく。どんなに若々しくても、大の大人になったが、何も変わらなかった人の方が誰よりも醜い。そう思っている。

また、「価値が下がる」ということに対しても、パール・ベーリーという人は、
「あなたの価値の理解者は、あなたしかいない」
と語っている。

彼女は、バージニア産まれの黒人歌手で、ダンスと歌で舞台にたち、ブロードウェイで活躍した。トニー賞を受賞し、「愛の大使」と呼ばれ国連親善大使も務めた。
当時も彼女には、黒人差別もあっただろう。だが、彼女が折れなかったのはこの心得があったからだと私は考える。

自分を失わずに自分磨きをする。歳をとることが楽しみになってきた

誰から、なんと言われようと最終的に自分の価値を決めるのは自分なのだ。「女子高生」という肩書がなくなったぐらいで、あなたの価値は下がるのか。人の意見に左右されず自分で決めろ。それが、あなたの価値だから。

私は、歳をとってお婆さんになった時。これらの名言を忘れずに歳をとり、皺やシミまみれでも優しさと勇気、教養があり、笑顔を絶やさない素敵なご婦人になりたい。そのためには、多くの物事を深く考え、自分を失わないことが重要だ。今からでも、自分磨きをしてみると良いだろう。

こう考えると、歳をとるのが楽しみになってきた。また来年の私は、どれぐらい成長できているのだろう。今よりも、魅力がある女性になっていますように。