葉書きになりたい。
コロナという得体の知れない、目に見えない癖に、言葉を発さない癖に、世界中の日常を狂わせてから私は常日頃そう願っている。
勿論葉書きに人間がなれるとは思っていない。
そんなの小さな子供が仮面ライダーやプリキュアになりたいと顔をほころばすよりも、とんちんかんな願いだということは重々分かっている。
けれどもそう願わずにはいられないのだ。
だって葉書きならば、緊急事態宣言で県外への移動が制限されている中でも、サラサラと宛名を書いて切手を貼れば県を越えられる。そう、あの人のもとへ行けるから。
セクシャルマイノリティにとって、ネットは出会いの場所
私はいわゆるパンセクシャルに近いセクシャリティだ。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、LGBTという単語は近年流行語のように度々耳にするようになったが、パンセクシャルはそこには当てはまらない。近いのはバイセクシャルだろうか。
男性も女性も恋愛対象であるバイセクシャルに対して、パンセクシャルは全性愛。
男性・女性に加えてトランスジェンダー、生まれた肉体と心の性が一致しない人も時に恋愛対象になる。要は好きになる人の性別にこだわらない。性別よりもその人個人に惹かれるのだ。
けれども私はマイノリティの中でも更にマイノリティで、
少しレズビアン寄りのパンセクシャルだ。
どちらかというと女性、もしくは生まれた性が女性で心が男性で…治療をし身体を男性のものに戻したトランスジェンダー(ftm)に惹かれることが多い。
そんな私は今、県外に住む女性に惹かれている。
出会いはインターネット上の掲示板。
セクシャルマイノリティは好きになる人が限られている……無論絶対にセクシャルマイノリティ同士で恋愛をするという決まりはないけれど、異性愛者に恋をしても「好き」と伝えることが出来ず、静かな失恋をすることが多いとは分かっていた。
現に私も幾度となく異性愛者の女性に恋をしては、「好き」も言えぬまま彼女に彼氏ができて幸せな姿を見ているだけだったことがある。
だから職場や日常の中での出会いというのは期待できない。かといって新宿二丁目に繰り出す勇気すらない、一緒に行く友達もいない。
だからパソコンを開き、掲示板で同じように出会いを探す人を求めた。本来はそこまでインターネットの掲示板やマッチングアプリの類に良いイメージはないが、そんなことを言っていたらずっと独りな気がした。
それにインターネットの掲示板で出会い、それから10年以上交際し現在も同棲しているレズビアンカップルの友達もいる。どこに運命の赤い糸は繋がっているかわからない。
はじめは掲示板だとしても言葉を交わして、出会って、運命だと感じられる人がいるかもしれない。
「コロナが落ち着いたら」。私は不要不急なのかと少し寂しかった
だがインターネットの荒海は、いくらでも嘘で自分をドレスアップできる。
顔写真の性別を変えるアプリを駆使したり、誰かのSNSから拝借した画像を自分だと偽る荒海を泳ぐ毒。気が合う女性だなあと思っても2、3往復すると「実は男性なんだ」と性器の画像を送り付けてくる人もいる。
もうろくな出会いがないと嫌気がさす中で彼女とは出会った。
彼女は年上で、メールでの穏やかな文面は勿論のこと、私はその声に惹かれた。例えるならば深い海のような声。深い水底のような静けさと落ち着きがあり、居心地の良い波に抱かれ自然と身を預けさせるような。
メールと電話を重ねる中で「会いたい」と思った。メールに添付していた私の画像はプリクラで目は1.5倍程大きくなり、最近のプリ裏の技術を駆使して細くなったウエストと顔……本人であるが本人ではないので、もし会ってがっかりされたら嫌だな、そう思われるのならば会わずにこのままメールや電話だけでもいいのではないかと初めは思っていたが、だんだんとがっかりされてもいいから会いたい気持ちが勝ってきた。
けれども「会いたい」気持ちが心臓を火元にめらめらと私の全身を焦がすのに、冷静な耳がテレビから流れるニュースの声を拾う。
感染者が増え続けている、飲食店には休業要請、緊急事態宣言延長か……活舌のよいキャスターが伝える単語が燃えさかる私の火をそっと鎮火した。
意を決して電話越しに伝えてみる「会いたい」に対して彼女は、
「そうだねえ。コロナが落ち着いたらかな」
という。これは真っ当な回答だとわかっている。
無症状で感染していてうつしてしまったらいけないし、皆が自粛している中で不要不急の外出をするわけにはいかないし……そうゆっくりと諭すように彼女の声は空気を波打たせ、私の鼓膜を揺らす。
そんなことはわかっている、彼女にコロナに罹患してほしくない。
けれど私は不要不急なのかと思うと少し寂しかった。頭では分かっているのにとてもとても悲しかった。「コロナなんて怖くないよ!会いに行くね」と言われたら、それはそれで非常識な人と思ってしまうけれど。
気軽に出かけて人を抱きしめられる日はあとどれくらい?
コロナがいつ落ち着くかなんてわからない。
けれども私たちは、コロナ前には口にしなかったフレーズ「コロナが落ち着いたら会おうよ」を最近よく口にする。それは久しぶりに連絡をとった友人や、会っていない親戚に対してだ。
けれども私たちはこれの終わりがわからない。
ワクチンを打ったという人が周りにぽつぽつ出始めた、オリンピックはもうすぐ行われる、でもワクチンが効かない変異株が出てくるかもしれない。マスクなしに出かけられる日は、県外に気軽に出かけて人を抱きしめられる日はあとどれくらい?
結婚という恋愛の最高到達点のない私たちのような人の恋はとても脆い。
付き合っていた人が急に連絡ツールのアプリごと消えてしまったり、交際一歩手前まで行き愛を温めていた人が突然いなくなることもざらにある。
そんな経験を何回か繰り返す中で、私は出会いにドライになろうと意識した、どれだけ気の合う人でも心惹かれる人でも一枚壁を作っておく。そうすれば突然消えてしまった際に泣かずに済むからだ。
でも彼女には壁を作れない。作ろうとしても膝下くらいまで壁を作ると胸の鼓動で崩壊してしまう。
このまま終わりたくない、会いたい、目を見て、好きだと伝えたい。
けれども人の移動がいけないのならば、私は一通の葉書きになりたい。無地の葉書きだと味気ないから絵葉書きがいい、季節を彩る花が描かれているといい。
絵葉書になって貴方の元へ行けるのならばそれでとても幸せなのに。