コロナ禍の恋愛相談に動揺。私に聞いていいの?
コロナ禍で新しい出会いを求めるなら、マッチングアプリが最適だ。
なぜなら直接会う必要がないし、お酒も飲まずに済むし、個人情報の管理もしっかりしている(大体の場合)。
なにより大きな利点は、自分の連絡先を渡さずに、良さげな相手とアプリ内でメッセージのやりとりができることだ。対面ではない、個人情報を守られた状態の交流で、恋人候補のふるい落としがある程度できる。
私自身がコロナ禍でマッチングアプリと出会った人と交際、同棲、結婚まで経験している。
結婚報告した親しい友人には「芸能人ばりのスピード婚だね!」「結婚はタイミングっていうけど本当だね」とあたたかい目で受け止められている……はずだ。
今のところ、夫とは和やかに過ごせている。
が、コロナ禍の恋愛も友人が同じ状況ともなれば話が違う。違うのだ。ぜんぜん違う。
とりわけ、私と夫の馴れ初めを知った友人からの「出会いが欲しい」という相談には、いろんな感情が沸き起こり、ない混ぜになるので、平静を装わなければならない。
「えーっ、レンアイのこと、私に聞いちゃうんですか。いいの?ほんとにぃ?」と、おちゃらけたくなる心の声を飲み込んで、真剣に向き合うため頭を切り替える。
今まで恋愛に興味のなさそうだった友人ほど、衝撃は大きい。「ああ、あなたもレンアイに興味が出てきちゃったんだ」という寂しい感情と、「あなたとレンアイの話題もできるようになるんだね!」という好奇心と高揚感がとぐろを巻き、私の心は波打つ。
恋愛によって友人が変わってしまうかも知れない、恐怖心に似た何か。この感情は、私と関わりのあるすべての人が対象だ。
誰とも平等に同じように振る舞おうとすることはできても、差異は出る。私はその差異を愛しているのだ。私と友人、ふたりだけのときに生まれる無二の関係性。私だけが知っている表情が必ずある。
恋愛によって、私から見る友人のキャラクター像に少なからず影響が出る気がして、寂しいのだ。
恋愛に限らず、生きていれば価値観は更新され続けるのだから、「ずっと昔と変わらない」なんてあるはずがない。そんなことに怯えるのは幼稚で、友人に独占心を抱いている証だ。
私も一緒に成長しない限り、私の中の友人は、どんどん虚像となっていく。
コロナ禍によって、友人の虚像化は進行する一方だ。自由に会えない情勢とアプリの普及で、人生に大きな影響を及ぼす恋愛は、ひと目に触れることが少なくなったと感じる。
恋愛についてそれとなく聞くことは、オンラインでは難しい
そもそも近年では、恋愛や家庭の話もプライバシーの一環であるため、話題にあげるのもはばかられる価値観になりつつある。親しい友人にも、「連絡を取っても会えないし、この状況で恋人ができた、なんてわざわざ話題にあげるのも気が引けるな」と思っているうちに、どんどん時は過ぎていく。
ちょっと連絡を取っていないうちにマッチングで結ばれ、あっという間に交際スタート。アラサーの恋愛はとにかくスピード感がある。「もう、付き合っちゃったの?!早くない?!コロナ危なくない?!」という口を出すタイミングもない。私に出会いの相談をしておいて、付き合っちゃったら事後報告。「言うタイミングもなくて」、と言う。
「心配だったんだよ?!」と、言ってしまってよかったのか。相談されたとはいえ、恋愛など閉鎖的なふたりの関係のみで成り立つのだから、ふたりが良ければそれでいいのだ。他人が口を挟んでも野暮、外様は黙っとれと私の自制心がうなる。
「便りがないのは良い便り」のことわざ通り、向こうから連絡があるのは苦しんでいるときが大体だ。まったく、良いように使われているわけだ……それが、恋愛相談の醍醐味である。
普段から恋愛や性の話をオープンに話す相手なら、「今、彼とはどう?」と聞けるのかもしれないが、恥ずかしくてなかなかできない。野次馬根性はなはだしいのが、コロナ禍とLINEの組み合わせで露骨すぎて、上手く使いこなせない。
リモートやアプリの普及は、手段として大変便利だ。しかし、「それとなく」という、絶妙な空気感を出すのが難しく、なんとも不便に感じる。
やはり、実際会うのには敵わないなと、しみじみ思うのだ。