プリーツスカートをはためかせて、友達と校舎を走り回った

私は中高一貫の女子校出身だ。理由があって女子校を選んだわけではなく、受験して合格したのがその学校だった。
思春期の真っただ中で、多くの出来事が私を形作っていった。

ある時、休憩時間にスカートめくりが流行ったことがあった。なぜ流行ったのかはもう覚えていないけれど、記憶の中にある。
これは、結構重要な出来事だったように思う。プリーツスカートをはためかせながら、校舎の中を走り回り、友達のスカートをめくることに日々明け暮れていた。めくるというか引っ張るに等しい時もあったし、当然自分がめくられることもあった。

今思えば不思議なくらい、なぜかその一瞬に命を燃やしてエネルギーを注いでいた。同性しかいないから、周りの目なんて気にすることもなかった。
誰もその様子を白い目で見ることはない。校則さえ守っていれば、どんなあり方も過ごし方も許容された。またやってるよ、くらいの認識で、それは日常の一部だった。

ありのままでいられることと、それを受け入れてくれる環境が大事

これが共学だったら、そうはいかなかったと思う。何か行動するたびに、言葉を発するたびに異性の目を意識せざるをえない。もしくは、自分がそれを意識していなくても、異性の目を意識する同性の姿を目にすることになる。

女子校では、そういうことがなかった。女性としてこうでなければいけない、こうである方がいい、という姿でいる必要がどこにもなかった。
そこには女性しかいないから。だから、とても楽だった。

ありのままでいられることと、そしてそれを受け入れてくれる環境、この二つがとても大事で、幸運にも当時その両方が欠けることなく私の周りにあった。

人生で初めての共学。男受けする服ではなく、自分が着たい服を着た

この学生生活が、私の考え方に影響を与えた。例えば、ファッションセンスだ。
高校を卒業して、大学に入学し私服を着ることになった。大学は人生で初めての共学だった。同じ教室に異性がいた。でも、私は自分が着たい服を着た。
親からは、「もっと女の子らしい服を着れば、モテるのにね」と何度も言われた。大学を卒業し、社会人になった今ですら言われることがある。

実際、ヤクザの人が着ていそうな派手な柄物のシャツを好んで着ていたりするので、言わんとすることも分からなくはない。
自分自身も自分が着ている服というのは、いわゆる男受けするものではないだろうと思っている。家族以外からそう言われたことはないが、そう思う。自覚はあるけれど、それでも私は自分が着たい服を着た。それが自分であるということだからだ。

人にどう見られるか、よりも自分がどうありたいか、を大切にした。それが本当の自分だし、一番大事だ。だから、本当の自分はこうなのに、とか自分の意見は別であるのに、といった窮屈な思いをする必要がなかった。

今までこのように生きてくることが出来たのは、きっと学生時代の環境が大きく影響していると思う。当時は意識などしたことがなかったし、理由もなく選んだ学校であったが。この環境が恵まれていたものであると、成長した今ならわかる。このめぐりあわせに、感謝をする。