高校、大学と女子校に通ったら、自信が付いて生きることが楽しくなった。
力や背が必要で男子がしていた準備も、女子校では当然女子だけで行う
私は、中学までは都会とも田舎とも言えない地域の共学に通っていた。
その地域では、明確に男女差別されることはないが、何か意見を聞くときは男子から、何かの行事に準備で重い物を運ぶときは男子が運ぶ、などといった暗黙の了解があるような地域だった。恐らく日本にはこんな地域は星の数ほどあるだろうと思う。
当時の私はその差別に気づいておらず、「男子は色々あって女子よりも大変なのだ」「女子は男子より小さくて力が弱いから準備では軽い物を」と信じ込んでいた。
中学校を卒業して女子校に入ってから、それまで男女で分けられていた体育の準備などを女子だけで行うようになって驚いた。女子だってできるのだ。重い物も持てるし、高いところの物も取れる。
中学校では、体育の準備は男子がやるものだった。球技で使用するポールは「重いから」と言って男子が持っていたし、ポールにネットを付けるのも「高いところでの作業だから」と女子はボールなどの軽い物を運ぶくらいのことしかしていなかった。
しかし、高校に入ってからは当然女子だけで準備を行うことになる。重いからと言われていたポールを軽々と運ぶ子もいたし、高いところでの作業は背の高い私が意外にも簡単にできた。
自分ができることを制限せずに何でも行った結果、少し自信が付いた
当然、力が強くなくて身長も高くない子もいた。そういう子たちは準備のときは軽い物を運んだりするものだと思っていたし、実際共学から女子校に入った子たちはそういう風に行動していた。
しかし、ずっと女子校に通っていた子は当然のように何人か集まって重い物を運んだり、後ろ向きで物を運んでいる子の誘導を始めたりした。それを珍しげに眺めていた子たちも、いつの間にかその輪の中に混ざっていった。
そんな風に高校での3年間を女性ばかりの中で過ごしていると、案外女子だけでも何でもできることに気付く。それと同時に、中学まではそういうことを考えもせずに力仕事などを男子に任せていたことに気付いた。先生に言われたからと考えず、当然のように準備を男子に押し付けて、自分ができることに自分に制限をかけていたのだ。
今考えると、どれだけ負担の差があったのだろうかと恐ろしい。
中学校ではそんな環境だったために、自信など身に付かなかった。勉強もできなかったため、自分は何もできないのだと信じていた。
しかし、高校に入って自分にもできることがあるということが分かり、少し自信が付いた。
やりたいことを諦めないで良いのだと教えてくれた、女子校の日々
決定的に自信が付いたのは大学時代だ。高校を卒業しても「出来ることがある」という自信が付いても、「自分が好きなことをしても良い」という考えがあまりなかった。
自分には何の才能もないと思っていたからやっても無駄だと思っていたのだ。
しかし、大学の授業で書評を書いたときに「読みたくなった」と褒めてもらってから、どんどん文章を書くことにのめり込んでいった。その教授も、私が文章を書くことに協力してくれた。
文章を書いているうちに、他の文学系の授業を受け持つ教授にも褒めてもらえるようになり、自分にも人に褒められるようなことが出来るのだと、自分のやることに自信を持てるようになった。
現在私は、一度就職した会社を辞めて、女性が目指していると少し驚かれるような職業の勉強をしている。
きっと以前の私なら驚かれる度に悩んでいたことだろう。しかし今は、「すごいでしょう」と胸を張れるのだ。
女子校で過ごした日々は、自分がやりたいことを諦めないで良いのだと言葉でなく、経験で教えてくれた。