2017年12月18日。当時、私は大学4年生だった。この日、4年間の集大成となる卒業論文の提出を完了させた。モヤモヤが一気に晴れたような、爽快な気分だったことを覚えている。

あとは卒業まで遊び倒すだけだとホクホクで帰宅し、いつもとは別格の充足感に包まれながら、リビングでのんびりツイッターを眺めていた。次の瞬間、目を疑った。

大好きなアイドルが、亡くなったというニュースが流れてきたのだ。

高校2年生の冬、彼が所属するグループを生で見て「ファン」になった

私が彼のファンになったのは、高校2年生の冬だった。彼が所属するグループを生で見る機会に恵まれ、その日のうちにファンクラブに入会した。

彼のビジュアルの良さはもちろん、力強いダンス、美しい歌声、言葉の節々から垣間見える繊細さに惹かれた。そして、なによりメンバー同士の仲の良さにも魅了され、私は彼の、彼らの虜になっていった。

少ないお小遣いはすべてCD、DVD、グッズに注ぎ込んだ。情報収集専用のツイッターアカウントを作ると、瞬く間に全国のファンと繋がった。毎日流れてくる彼らの来日情報、空港写真、音楽番組でのパフォーマンスなど、追いきれないほどの供給と、フォロワーとの交流を糧に勉強を頑張った。受験が終わったら、またライブに行こうと決めて日々を生きていた。

ようやく受験も終わり、高校の卒業式の次の日、ファンクラブイベントに行わることになった。1年以上ぶりに生で彼らを観ることができる。卒業式後のクラスの打ち上げは早々に抜け出して帰宅し、翌日に備えて掛け声の確認をし、同行するフォロワーと待ち合わせの連絡をしあった。

待ちに待った当日。始発電車に乗って幕張へ向かい、フォロワーと合流して、寒い中グッズ列に並んだ。曲を流して同じイヤホンで一緒に聴きながら待ったり、知らないファンに話しかけられて仲良くなったり、その日起こった出来事ひとつひとつが新鮮でとても楽しかった。

イベントが始まると、コーナーでは彼らの仲の良さに癒され、また力強いパフォーマンスにも圧倒された。同じ空間にいられることのありがたさを改めて噛み締めた。

彼らを追うことは、私の生活の一部で「大切な存在」だった

大学に入ってからは、アルバイトができるようになったことで、さらに行動範囲が広がった。同じ公演へ2日連続で通うこともあった。

特に、彼らにとって初めての東京ドーム公演は、メンバーもファンも、その場にいる全員が同じ気持ちで涙する一幕があり、一生忘れられないほどの思い出になった。

そのうち、勉強、サークル活動、就活、恋愛など、様々なイベントが私の人生の比重を大きく占めていき、彼らを追うという優先順位は徐々に低くなっていった。だが、それはもはや私の生活の一部になっていたということでもあり、大切な存在であることには変わりなかった。

もうすぐリーダーが兵役に行くだろうから、次のライブは行っておこうかな。そんなことを考えていた矢先の出来事だった。

彼が繊細な人間だということは、ファンにとっても共通認識事項だったと思う。彼はソロでも作詞作曲を行って活動しており、私はもちろんすべての音楽を聴いていたのだが、どうしてこんなにも孤独な気持ちに寄り添ってくれるような、明日も頑張って生きていこうと思えるような曲が作れるのだろうと、尊敬の念を持って常々思っていた。

彼の音楽に漂うなんとも言えない哀愁は、人生への悲嘆の表れだったのだろうか。彼が亡くなってしばらくの間、私はそう考えてしまっていたことがあった。

私にとって彼は、新しい知見をもたらしてくれる存在だった

けれど、そう考えるのは違うと、最近思うようになった。彼という人間についてじっくり考えた時、自殺したという事実がどうしても大きなインパクトを持って迫ってくる。しかしそれだけが、彼という人間を表すすべてではないのだ。

思い返してみると、私にとって彼は、新しい知見をもたらしてくれる存在だった。彼と出会ったことで、ツイッター上でたくさんの人と繋がることができた。普通に生きていたら出会わないような人達と、一緒にライブに行ったり、会って遊んだり、連絡を取ったりするようになった。

また、誰かを好きになって応援することが、生きる意味に、生きる糧になりうるということを教えてくれた。

彼が旅立ったあの日から、もうすぐ4年が経とうとしている。他のメンバーはこれからも活動をして、年齢を重ねていく。彼だけが若いまま、写真の中で笑っている。

私はただの、何の力も持たないひとりのファンだ。彼は私のことを知らない。今も生きていてくれたとしても、私を知ることはなかっただろう。私が感謝を直接伝えられる機会もなかっただろう。

天国で会えない限り、私の恋が終わらない。