大学に入学しても、海外の大学院に進学しても、一向にモテ期がこないことを、中高一貫女子校出身のせいにしてきたけれど、まもなく27歳になろうとしている今、そろそろ原因の見直しを行う必要があると感じ始めている。
なぜなら男の目を全く気にせず、本能の赴くまま生きてきていた同士(同級生)たちは、続々と結婚と出産を経験していっているからである。そろそろ「女子校出身だから、男の人に慣れてなくて……」というくだらない言い訳を、きっぱり道頓堀の川底にでも捨ててこなければならない。
さもないと私は、ちょっと痛い30代のおばさんとなってしまう予感しかないのである。
公立大学では浮いてモテなかったけど、女の園での日々は貴重な経験
実を言うと、私は幼稚園から高校までエスカレーター式の私学の所謂「お嬢さん学校」に通っていた。
だからというわけでもないやもしれないが、私の交友関係の狭さは猫の額より小さいのではないかと時々思う。しかも大学はひと学年65人という、超少人数の公立大学だったから、そこで爆発的に交友関係が増えることもなかった。
さらに厄介なことに、私学のお嬢さん育ちの私は、公立の大学でかなり浮いた。嘆かわしいことに、今から考えてもそんな女がモテるはずがないのである。
もし私が絶世の美女で才能にも恵まれていたのならば、多少の浮世離れした雰囲気も、「なんかわからんけど、可愛い」となった可能性はなきにしもあらずではあるが、残念ながら私は結構面白い顔をした凡人である。
どこで選択を間違ったんだ、と過去を振り返って考えてみるが、もはや後の祭りである。最善ルートを辿ってきた結果がこうなってしまったのならば、それはそれで今の自分で面白おかしく生きていくしかあるまい。
それに10代のうちの貴重な6年間を、女の園で過ごした日々も、決して悪いものでもなかった。やけに血の気の多い体育祭や、ただダルいだけの文化祭に、本気で熱中できた部活動も、そこにいなければできなかった貴重な経験である。
しかも女子校のもつ独特の良さというのは、外に出てからようやくわかるもので、教育実習のために2週間、母校にお世話になった時、しみじみと感じたものだった。
演奏に素直に褒める母校の生徒たち。この性格を育む女子校も悪くない
当時、大学4年生だった私は公立大学のどこか緊張感の強い空間で生きていたから、授業のために高校1年生の生徒の前に立った時、新鮮な感覚を持ったのを覚えている。
彼女たちは、予想を良い意味で外してくれた。
教科は音楽で、「カーロ・ミオ・ベン(私の愛しい人)」というイタリア歌曲を、2週間かけて歌えるように指導するというのが私の課題だった。音楽といっても私の主専攻は管楽器なので、歌とピアノはそこそこといったところなのだが、見本のために歌って見せた時の生徒たちの反応に、私はかなり感動していた。
「先生、めっちゃ声綺麗!」
「先生、めっちゃ歌上手いやん!」
「私らの歌より、先生の歌を聴いてたいねんけど」
多少ふざけておべっかを使っているとはわかりつつ、久しぶりに手放しで褒められた私が感動したのは、「この子たちは、なんて素直に人を褒められるんだろう」という点だった。
それはこの学校の特徴である。多少独特な子の多い学校ではあるけれど、みんな素直で良い子ばかりだ。温室育ちの素直なお嬢さんという性格は、私にとってかなり厄介な短所であったけれど、その時はどうも悪くないもんだなと思ったのである。
実際に今現在出来上がっている私は、案外と気に入っているし、そう考えてみると不利だと思っていた女子校出身も、悪くなかったのかなと思えてくる。それにモテることだけが、女の人生の全てではないのだ。
人生はやり直せないから、置かれた場所で咲く方法を探すしかない
けれど今後、もし姪や娘が進路で悩んでいるような時、私は女子校を奨めるだろうか。難しい問題である。
中高をもし共学に通っていたら、今とは別人のような私が完成していたかもしれないし、その私はもしかしたら今の私よりもっと良さ気だったかもしれない。もしくは私は私で結局、そんなに変わらなかったかもしれない。
人生はシミュレーションゲームではないから、残念ながら色んなパターンでやり直せない。たどり着いた場所に順応する努力をして、置かれた場所で咲く方法を探すしかないのだ。その上でそこが無理だと思ったら、迷わず逃げればいい。逃げる事は、時に挑む事よりも多くの勇気を要する。ならばそれは英断であると、私が保証してあげたい。
ちなみに私の今後の目標は、40代くらいで猛烈に色気のあるおばさんになることだ。
すれ違うだけでむせてしまうほどのフェロモンを振り撒きながら、自由に生きていきたい。
そう考えられるようになったのは、私の27年の経験のおかげであり、その目標も私は気に入っている。