私は背が高い人が好きで、わかりやすく面食いだ。
今から3年前、好きな人がいた。その人は、背が高いわけでも、顔が良いわけでもなかった。私より8つ上で32.3歳だっただろうか。いわゆる普通のサラリーマンという感じで、「星野源に似てる」そんなふうに言われるだろう雰囲気の持ち主だった。
同じバンドが好きなこと、フェスが好きなこと、地元が近いこと、共通点が多かった私たちはすぐに仲良くなった。
タイプじゃない。でも明らかに惹かれている自分に気づいた
その人は、気が向いた時に私を誘い、私も同じようにした。
会うと心が軽くなった。タイプじゃないし、ちょうどよく他人で、どうでも良いから、楽だったのかもしれない。
その人は、いつも良い匂いのする人だった。
「なんの香水?いい匂い」
「あー、よく気づいたね、気に入ってるんだよね」
「平日でも香水つけてる男性って珍しいですね」
「そうかな?まぁ、自己満足」
「ふーん、なんかチャラ」
「おい」
街で同じ香りと出くわすとその人を思い出すようになっていた。
タイプじゃない。その第一印象に反し、明らかに惹かれている自分に気づいた。
何度飲みに行っても、私たちは体の関係を持つことはなかった。
一度、その人が泥酔して寝てしまったことがあった。仕方ないな、と言いつつ、どこか期待もしつつ、タクシーに乗り私の家に帰った。
それでも何もないのが私たちなのだ。その人に唯一触れたのは、タクシーの中で手に触れてみた、後にも先にもその時だけだった。
その人は、しっかり握り返した。いつもの香水が間近から香っていた。
朝起きて、二日酔いの頭痛を抱えながら2人で、昨日買ったのに食べなかったアイスを食べた。
「覚えてないだろうけどね、『2人で分けれるようにパピコ買ったんだよ、偉いでしょー?』て言いながら全然違うの買って来たんだよ」
「え、覚えてないや……昨日は飲み過ぎたわ、タクシー乗ったとこまでは覚えてるんだけどな」
やっぱり、握り返してくれた手はただの条件反射だった。
そうだよね、わかっていたけどさ。
私たちはただの飲み友達なのだ。以上でも以下でもない。出会ったその瞬間からずっと変わらない、進歩も後退もない。
何で私じゃないんだろう。こんなに好きだったなんて
「彼女できた」
唐突だった。いつもと同じように飲んでたら、その人は、話し始めた。恋愛なんて久しくしてないと言っていたのに。
すでに出会ってから半年以上が過ぎていた。
「へぇー、どんな人?」
「ハタチの子、前から知り合いだったんだよね」
「ハタチ!若い子好きね~」
この人は、私じゃなくそんな若い子と付き合うのか、そういうのが好きなのか。
聞いた瞬間は冷静に分析する自分もいた。きっと私に向けた笑顔の裏で順調にその若い子を愛していたのだろう。
いつものように「じゃあまたね」と手を振って別れた後、帰りの電車で涙が溢れた。
何で私じゃないんだろう。心にぽっかり穴が空くとはこのことか。こんなに好きだったのか、と恥ずかしくもなった。
以後、その人からも連絡が途絶えたし、私からも連絡はしなかった。
彼女ができたら連絡が途絶えるなんて、その人から見ても私は一応異性ではあったのか。
それから数ヶ月後、その人から連絡があった。「ライブに行かないか」との連絡だった。
お互いに好きなバンドのライブだった。純粋に、ライブに行きたかった私は「行く」と即答した。何より、もしかしたら、と思う自分もいた。
平日の夜、仕事帰りで開演ギリギリに着いた私を、変わらないゆるい笑顔で待つその人がいた。
「久しぶり」と会話もそこそこに公演は始まった。初期の曲から最新曲まで贅沢なセットリストでライブは終わった。
「久しぶりにライブ来たけど、めちゃくちゃ良かったわ」
「うん、最高だった」
「あの曲歌うと思わなかったな~」
その人が言った。私も大好きな曲だった。
私たちはライブの興奮そのままに、
「最近の曲もいいんだけど、やっぱり昔の曲の方が飾ってなくて好きだな~」
「私もそう思う、最近のは少し綺麗すぎるかも」
なんて古参ぶった会話をした。
久々に見るその人は、やっぱり若い彼女がいるようには見えない、相変わらず普通の、むしろ少し冴えないくらいの男だった。
でも私、この人が好きで仕方なかった。
なんなら今でも。
「もう、会わないよ」。私は背を向け、2度と振り返らなかった
「そういえば彼氏できた?」
「いや、いないよ?好きな人はいるけど」
強がった。好きな人なんていなかった。いるのは、都合の良いセフレだけだ。
「彼女とは順調?」
「うん、ぼちぼちかな、まぁ楽しいよ」
「そっか、それは良かった」
「彼女もこのバンド好きなんだけど今日夜勤らしいから」
そっか、代替機みたいなもんだ私。
彼女の話をするその人は私の知らない顔だった。
「彼氏いないか~、じゃあどっちが先に幸せになれるか、勝負しよう」
「……その幸せってどういう意味?私今でも十分幸せだよ」
思わず言い返した言葉は強がりにも取られかねなかった。
今の私が、さも幸せじゃないと言われた気がして、ムキになってしまった。その時点で、図星だったのかもしれないが、そんなことを言うのかと思うと、なんだかすっかり変わってしまったように見えた。
好きなバンドの昔の曲のほうが好みだったことも、以前のその人の方が好きだったと思うのも、変わったのは向こうなのか、私なのか。
気まずい空気も気にしていないようなその人は、改札前、たくさんの人が別れの挨拶をしているのと同じように、「じゃあまたね」とその人は言った。
「ううん、もう会わない」
口をついて出ていた。
じゃあまたって、「また」がなくても言うのが大人だ。なのに、言えなかった。
「もう、会わないの?」
小さい子をあやすような優しい声だった。
「うん、もう、会わないよ」
私は背を向け、2度と振り返らなかった。
私は、未だにその人の真似をして買った香水をつけているし、その人に似たような、背の低い、冴えない見た目の男性ばかり好きになる。
私の恋は終わらなくなってしまった。