2021年4月、私は女子短期大学に入学した。
高校からの推薦をいただき入学した大学の校舎は、私にとってすべてが衝撃的としか言えなかった。
高校とは違う、女子生徒しかいない空間はあまりにも落ち着いており、それでいて違和感はなかったのだ。なぜかはすぐに分かった。それを私が望んでいたから。
人付き合いが苦手だった中学時代。高校時代は平和そのものだった
高校時代を思い出してみれば、それは平和そのもので私は運がよかったのだろう。素直で大人びた生徒たちと勉学に励んだ日々は、尊い日々であったのだと気づかされた。素直でそれでいて芯がしっかりとしている生徒は初めて見たから、余計に感動していたのも良い思い出だ。
高校時代3年間学級委員長を務めて、気づいたことや学んだことは多くある。だから短大に進学しても、人と話すことや周りの仲間の意見を聞いたりすることは苦ではないと感じることもできた。共学も別学もどちらも悪いというわけではない、自分が巡り合った環境が良いと思うか悪いと思うかの二択だろう。
時々考えることがある。どうして昔の私は人付き合いが苦手だったのだろうと。
中学時代の思春期が私の心をかき乱して人との付き合いを最悪にさせてしまったとき、一か月は部屋に引きこもった。そして自分の悪いところを認めて転校すれば、自分の非を認めて成長しなくてはと思わされた。多くの何故とか反省点とかがどんどん出てきて、また落ち込みそうになった。
でも新たな友人との出会いが私を変えてくれたのだ。それがどれほどうれしかったか。今になって自覚して感謝したくてたまらない感情が涙となって溢れた。
だから私は高校時代から人付き合いを人一倍気にするようになったのかもしれない。傷つけないように、だからと言って自分の心を押しつぶさないようにして学校生活を楽しんだ。
それは短大生になった今でも同じである。
共学と別学もかわりはない。良い面があれば悪い面もあるのは当たり前
ここまで自分の思ったことを述べてみて思ったのは、やはり共学も別学もかわりはないのだろう。なぜならどちらも居心地が良すぎたから、幸せをもらった私にどちらが良いという理由が思いつかないのだ。だから両方の良い点だけをまとめてみた。
共学の良い点は、男女が同じ教室で勉学に励むところだろう。二つの性があるからこそできないことがないのだ。女子にできないことは男子ができる、男子にできないことは女子ができる。そんな環境は共学でしか感じることのないことだろう。
しかし、役割分担は合理的な考えである反面、無意識な性的役割分担ともとらえられるから厄介で一種の性差別といえる。
別学の良いところは、異性がいないからこそ気が楽であると考える人がいる。同性しかいないからこそ自由な自己表現が可能になるし、自身が強く逞しくなる。
しかし、同性しかいないからこそ異性との接し方がわからなくなるのがデメリットといえるだろう。きっと私も短大を卒業したら異性と上手に話せる自信がない。
良い面があれば悪い面もあるのは当たり前で、どちらかが良いなんて決めることはできない。どちらも需要があり歴史があるから、今日まで生徒の成長のために建っているのだから。
選んだ道に後悔はしたくない。楽しめるかは自分にかかっている
もし今頃運命が違っていたら、大学は別学ではなく共学に通っていたかもしれないと考える時がある。今まで小中高と共学に通ってきたが、つらいことも楽しいことも両方を知っているからなのか、時々共学に通っていたらなんて考えることがあって笑う時がある。
でも今が楽しくて仕方がないから、今更共学に戻りたいだとか考えたことがない。
私は自分のしてきたことに後悔はしたくないと考える人だから、たとえ選んだ道が間違っていても無理やりそれがあっていると考える時もある。反省はするが後悔はしないというものである。
だから共学から女子大に進学した私の物語に文句は言いたくないし、言わせたくない。
最後に言えることは、共学も別学もどちらでも全力で楽しめるかは自分にかかっているということだ。