私は中高から10年間別学に通っているが、やはりもう一度生まれ変わっても別学を選ぶだろうな、と思う。何故そう思うのか、について今から書いてみようと思う。

共学ではできない「余計なことに気遣わなくていい」のが別学の魅力

まず一つ目に、余計なことに気を遣わなくて良い点をあげたい。
朝登校する際に、あなたは髪やメイクにどれだけ時間をかけるだろうか。
私は中高時代、そして寝坊して遅刻が見えている時は現在も、10~15分時間をかければいい方だ。とりあえず顔洗って化粧水と日焼け止めを塗り、最低限の寝癖を誤魔化し家を出る。

ひどい時なんて顔を洗って寝癖はそのまま、バックの中に化粧水と日焼け止めとコテをぶち込み、寝癖直しウォーターを振りかけ髪を梳かしながら制服に着替えて、菓子パンをバックに入れて出かける。本当に遅刻が見えているときはとりあえず学校で朝の会に出てから、トイレで身支度を済ませていた。

これが共学だったり、学校に好きな人がいたりするとそういうわけにはいかない。流石に軽くうっすらメイクしたり、髪の毛は朝からきちんとセットするだろう。

誰かの「推し」に対して自然と詳しくなれるのも女子高の特権かも

プールや体育の授業後はどうだろうか。とにかく早く着替えてみんなで制汗剤を使い回しながら、「あっつー!」「スカートの下に体育着のハーフパンツ履いてるし~!」なんて言いながら、下敷きでスカートまくって煽いだり、前髪カーラーをつけて廊下を爆走して、先生にカーラー外して!と言われながらも、とまらずとりあえず教室までダッシュしたり、授業中も眠たければ机に突っ伏してガーガー寝ている。寝顔を気にして寝るようなこともない。これだけズボラで許されるのが女子校の特権だ。

また、学校の帰り、推しに会いに行く時や、他校のイケメンと遊ぶなどという時は、放課後メイクや美容に詳しい友達が教室で髪を巻いてくれたり、ヘアアレンジしてくれたり、メイクこうすると可愛いとか、崩れにくいとか言いながら用意を手伝ってくれる。そして楽しんでこいよ!なんて言いながら送り出してくれる。

もう一つ上げる女子校の利点として、あまりにもヲタクに寛容すぎる点を挙げたい。
私の学年はとてもヲタク率が高く、そしてみんな公表していた。だから当時の推しを未だに出席番号順に言えるのでは?というレベルで〇〇は誰のヲタクだ、というのが知れ渡っていて、テレビに出てれば翌日「〇〇の推し出てたね!」なんで言われるし、卒業発表の翌日は、何も手につかなくても「そうだよね、〇〇の推し卒業するもんね」なんてかばってくれた。

友達の誕生日の日はロッカーにその子の推しの画像を印刷したものがいっぱい貼ったりするため、仲の良い友達の推しのいる界隈については、自分が対して興味がなくても自然に詳しくなっていた。

多感な6年間を過ごした女子校で出会った友達は、ずっと大切な存在

他にも女子校では教室でパイ投げしたこともあったし、タコパやらチョコレートフォンデュして遊んでいる友達もいた。学校の教室のロッカーでかくれんぼしたり、補習に出たくなくて、みんなでダッシュで逃げて遊びに行ったり、朝からマックやスタバを買って学校に来る子もいて、普通に教室で食べたり飲んだりしていたり、なんだか今考えてみると、とんでもないことを沢山していたが、とにかく自由でみんながみんなを認め合った楽しい世界だった。

それら一つ一つが、私達にとって、本当に楽しい青春の1ページになった。
私は高校3年の時病気になったが、たくさんの友人たちから励まされ、みんな見舞いに来てくれたり、たまに学校に行けば「お前が治療頑張ってるから私も負けられない、勉強頑張る!」なんて言ってくれたのが私自身もモチベーションになれた。

中高の同級生とは未だにどんなところで会っても、突然連絡しても元気~?と当時大して仲が良かった訳ではない子でもすごく話が弾むものだ。

女子校での生活で私は一生ものの友人を得ることができた。あの多感な時期の6年間を共に女の園で過ごした友人達との関係性は、これからも私にとって大切なものとなるだろう。