文化祭の準備を一緒にしているうちに男子と仲良くなって、みたいな話は全てフィクションだと思っていた。いや、今でも思っている。

女性というラベルで扱われることの全てから解放されていた「女子校」

男性教師陣が重い物の搬出をしているとときめく、というのも聞くけども、基本的に我が母校は「自立心」を尊重していたので、生徒だけで出来ることは極力生徒自身で行った。

お祭りだというのに、食品を提供するお店は禁止。バンドやダンスなどのパフォーマンスをしようもんなら、まずその許可を教員から得るのに面倒な交渉をしなければならない。いつもより少し休み時間が多い学習展示会、というのが暗黙の前提条件であり、そこはかとない諦念の空気を生み出していた。

それでも流石のティーンエイジャーのパワーはすさまじい。限られたルールの中で、それはそれなりに楽しんだり、不貞腐れたり、様々に爆発していた。

例年絶対にひそひそ話されるのは、「当日ナンパされたらどうするか」という命題である。当時「ナンパ」というのはそれこそファンタジーの一部であったし、そういうことをされた生徒の体験談というのはどこかしら忌避されているように思う。

多分、私たちは現実問題、女性というラベルで扱われることへのメリット・デメリット全てから解放されていたのだ。大人からしてみたら、囲われた、安全な、呑気な世界だろう。

いつか訪れるであろうことは「いつか」の出来事であり「今」は違った

いつか訪れるであろう、恋愛や結婚、妊娠、出産。どれも「いつか」の出来事であり、「今」は違った。

スカートを放り投げたままハーフパンツで校内をうろついて怒られ、授業中に爆睡し怒られ、お菓子とケータイをこっそり持ち込んで荷物検査でバレて怒られ。それが私たちの「今」だった。

文化祭では部活動による発表は奨励されていた。花形のとある部活が演奏発表するときは、中庭に観客が詰めかけた。そんな人いたの? 修学旅行の感想文コーナーなんて開場してから来たの保護者2組ぐらいだぞ、なんていじけながらも、私も演奏を見ていた。

クラスメイトがしなやかな手足の先まで完璧にコントロールして踊る。一瞬一瞬が可愛くて、羨ましくて、恰好良かった。この演奏中はいつもより男性教師陣の巡回人数が増える気がしていたけれど、そんなことはどうでも良かったし、気にも留めていなかった。

女子高生が演奏する時に「不自然なローアングル」で撮る人たちがいた

意味が分かったのは数年後。自分がOGとして母校の文化祭に遊びに行った時だった。相変わらず花形部活の演奏は盛況で、完璧だった。しかし。周辺に散らばる妙なカメラの構え方をしている人の多いこと多いこと。ローアングルで、明らかに保護者でも記念写真撮影のカメラマンではない。

誰なのだ、この人たち。察しが悪い私は、5秒後に思い至った。ミニスカートからするりと伸びた生足。嫌なことが全部なかったことになるような弾ける笑顔。可愛くて、羨ましくて、恰好良い。それ以外の視点を考えたこともなかった。

不自然なローアングラーたちは、教師が近づくと急に立ち上がってアングルを変えたり、微妙に移動したり。途端に、白けてしまいそうになったけれど、こんなことでキラキラした、制汗剤と校舎の匂いの記憶がすすけるのも癪に障る。

だから、演奏は最後まで逃さず見て、力一杯拍手をした。情けないことに、それだけしか出来なかったけど。

「よくあること」と巡回していた先生は言っていた。「よくあること」。「よくあること」から、私たちは守られていた。見なくて良かった。社会に出たら、直視しなければいけないなんてことは重々分かっている。それでも、うるさくて面倒なあの時間を女子校で過ごせて、私は多分、ラッキーだ。