「いつも明るく元気な子」

人はよく、私をこの様に表現した。南の島沖縄に生まれ、山と川に囲まれた自然いっぱいの岡山で育った私は、本当に「元気な子」そのものだった。

幼いころから外を走り回り、大きな声でよく笑う。そんな私を見て、多くの人は「元気でいいね」と笑顔で褒めてくれた。「元気」は自他共に認める私の長所であり、私らしさの象徴だった。

外を走り回っていた元気が取り柄の私はコロナ禍で、静かに仕事をした

2019年4月、私は社会人となり、岡山から離れ都会で生活を送ることになった。
今までの生活の中では考えられないくらいの人の多さや建物の大きさ、物事のスピード感。初めてがいっぱいの日々であったが、持ち前の明るさと「元気」で充実した毎日を送っていた。

そして2020年1月。新型ウイルスの発生により世の中は劇的に変化した。外出の機会は大きく減少し、なるべく人と接触しないように生活することが求められた。
まさに諸行無常。今までの日常が当たり前ではなかったことを痛感した。

平日は営業の仕事で外を走り回り、休日はスポーツやショッピング、カフェでの読書などを楽しんでいた私にとって、家で過ごす一人きりの時間はあまりにも窮屈なものだった。
営業の仕事までもがリモートワークに変わり、メールや電話でのやり取りばかりとなった。「元気」であることを武器にしていた私は人と関わる機会を奪われ、その発揮場所を失ってしまった気がした。

2020年6月。徐々に感染者数が減少していた時期で、私の職場ではリモートワークを解除し出社を再開することとなった。もちろんマスクの着用は必須で、人との会話も極力しないようにとの指示を受け、私は黙々と仕事をしていた。

いつしか強みだった「元気」が重荷に…。プツンと心の糸が切れた

「あれ?どうしたの、元気ないね」
久しぶりに会った同僚が声をかけてきた。

同僚は、パソコンに向かって静かに仕事をする私を見て「元気」がないと判断したのだろう。優しさから出てきた言葉だったのだろうが、私はその一言に大きく衝撃を受けた。
人と会話をしない私は「元気」ではないのろうか。「元気」ではない私の長所とは一体何なのだろうか。

会話を極力避けた生活を送る中で、「元気ないね」と私に声をかける人が増えてきた。その度にいつもより大げさに「元気」さをアピールした。

私は「元気」だ。「元気」でないと私ではない。私は常に「元気」でいなければいけない。
私の強みであった「元気」は、いつの間にか私の重荷に変わってしまった。

リモートワークは解除となったものの、休日は極力外出自粛の日々であったため、一人の時間が減ることはなかった。一人でいると頭の中で「元気ないね」の言葉が反芻する。自分という人間が分からなくなっていった。
そしてある日、プツンと心の糸が切れた気がした。

元気とは心の健康があってこそ。体が健康なだけでは元気じゃない

笑えなくなった。私は「元気」を完全に失ってしまった。
「元気」がなくなった私は、食事をうまくとれなくなった。夜も寝られず、ますます笑えなくなっていった。

身体はガリガリに痩せ細り、肋骨や血管が浮き出し、歩くことさえも辛くなった。うつ病と診断された私は都会を離れ、実家のある岡山に戻ることとなった。「元気」を失った私は、身体と心の健康までも失ってしまった。

岡山に戻って2ヶ月。私は未だ、自分が「元気」であると自信を持って言うことはできない。ただ、「元気」とは心の健康があってこそだと今ならはっきりと言える。身体が健康なだけでは「元気」とは言えない。

現在、新型コロナウイルスという未曽有の事態に世の中の誰もが日々、不安や恐怖と戦い続けている。その中で「元気」であるためにまずは自分自身の気持ちを大切にしたい。
自分が感じたことや思ったことを受け止め、自分自身の心に素直に生きる。それが、人が「元気」でいるために必要なことではないのだろうか。

私は今、自分の気持ちを言葉にして表現することに挑戦している。エッセイを書き気持ちを綴ること。このエッセイこそが、今、私が「元気」を取り戻すためにしていることであり、今後「元気」でありつづけるための秘訣と言えるだろう。