あれは、春の始まりくらいだったと思う。

朝、パン屋でのバイトが終わり、更衣室でケータイを開いた。私のSNSに、知らない人からDMが届いていた。「ブスは必死だね」。「かわいそ」。そして、グロい死体の写真も2枚届いていた。はじめてのことだった。

いわゆる誹謗中傷だ。少しだけ芸能活動をしているから、いずれこういう言葉が来るのは予想できていた。でもやっぱりいざ来てみると、心臓がズキズキと音を立てて、周りが真っ暗になったように感じた。……ついさっきまで、元気にパンを売っていたのに。

ヒドイ言葉をずっと自分で自分にかけていた私は、自分が嫌いだった

もともとなかった自信が、底をついたような気がした。私は人前に立つ仕事をしているくせに、自分のことが嫌いで自信がない。最近よく耳にする「自己肯定感」が低いってことだ。

気合を入れないと鏡も見れないし、「自分はダメな人間だ」という思いが心にこびりついて、すぐに殻に入ってしまう。ステージに上がる直前まで不安や恐怖に苛まれ、堂々とパフォーマンスを終えて拍手を浴びたかと思えば、次の日は自虐的な気持ちで落ち込んでしまう。ダメだったダメだったダメだった……。

でもこれまでの人生で、「あなたはダメだ」とか「お前はブスだ」とか言われたことはないし、両親からも「かわいいかわいい」「自慢の娘だ」「愛してるよ」と言われて育ってきた。誰からも言われないヒドイ言葉をずっとずっと、自分で自分にかけてきた。「その自信のなさ、どうにかならないかなあ」。そう言われることもあった。

とりあえず、そのDMは消した。アカウントも報告してブロックした。でも、痛みは私の心に残り続けた。夜に突然思い出して、怖くなったり悲しくなったり、はたまた自己否定に拍車をかけたりした。

そうだよ、私はブスだしキモい。分かってるよ分かってるよ、自分のほっぺたを殴り、鏡を睨み、自分の存在にゾッとした。なに生きてんだよ。泣いて泣いて泣き続けて、ついに心の奥から悲鳴が聞こえた。「もう、自分にいじわるするの、やめて!!!!」。

今度は違う涙が溢れ出した。ごめんね、ごめんね、意地悪言ってごめんね……。まるで新しい友達を心の中に見つけたように、慎重に繊細に近づいて行った。ごめんね、泣かないで……。あの、ちょっとずつ、仲良くなりませんか……?

私は「自分」という新たな友達と向き合い、ひとつずつ紐解いていった

コロナ禍で帰省もできないので、予定のないゴールデンウィークが始まった。一人部屋にこもって、まっさらなノートを開き、私は「自分」という新たな友達と向き合い始めた。

普段、自分が自分に対してかけている言葉。どうしてそう思うのか? 本当はどうしてほしかったの? どういうきっかけでそう思うようになったのか? どんなときに自分をいじめたくなるのか?

そして、冷静に自分を客観視してみて思うこと。あのときこうすればよかったんじゃない? あのとき本当は傷ついてなかった? ひとつひとつ、紐解いた。

少しずつスッとしてきた。書き続けて手が痛くなって、自転車に乗り、行く当てもなく漕ぎ続けた。夕焼けに染まる川を眺め、静かに揺れる木々に癒され、私は自分と対話を続けながら、静寂で豊かな時間を過ごした。

図書館に行き、心に関する本を読み始めた。ネットでも、自ずとそういう類の人たちと繋がるようになった。みんな同じように苦しんでる。そして、自分と向き合っている。自分を理解し、認め、愛する。私は自分と友達になろうと励んでいる。

「なんか、大人になったね」「なんか変わった」と言われるようになった。呼吸が深くなって、心がとげとげと波立つことも減った。自分の心に敏感になった。パフォーマンスも向上したし、疲れにくくなった。

誹謗中傷の言葉をSNSで送るくらい「心がバラバラ」な人の幸せを願う

1か月ほど経ったある日のこと。違うルートを使って、またアイツがきた。「ブス 死ねよ」。「まじ目障りなんだよね」。なんだか今度は、神様からの確認テストのように感じた。だから、なぜか感謝した。

そして、こんな言葉を送るまでに心がバラバラになってしまった送り主に同情した。彼女の幸せと癒しを祈った。

今もなお、私が私と仲良くなるための努力は続いている。でも、春の頃より圧倒的に元気だ。心の基本位置が少し明るいところへ移動した、という感じ。

同じ暮らしでも、幸せや美しさに目が留まる、心が動く。朝は早起きをして瞑想をする。ヨガをする。人には親切にして、笑顔も愛も惜しみなく届ける。頭より心を優先させる。いい波が、いい循環が広がる。チャンスや嬉しい話が舞い込むようになってきた。そして私は、私とハイタッチをして喜び、前向きに進む。

心がちぐはぐになったら、まずは今に集中して、ゆっくり深呼吸することだ。そんなときって、息が浅いから。そして体を動かし、一度無理にでも微笑んでみて、自分のことを抱きしめる。こんな世の中で、いつも幸せで生きることのほうが難しいのだから。ちょっとずつチューニングする。大丈夫。

自分が満たされたら、それから誰かに優しくしてあげればよい。自分を許したら、自然と周りにも寛容になれる。こうして今日も、私は静かに元気に生きている。