友人のインスタでのある投稿に引っかかった。
「見返りを求めるなんて友達じゃないし、見返りを求めたりせずありのままいるようになったら、友達は減ったけど優しくしてくれる本当の友達だけが残ってストレス減ったよ」
最近インスタやノートで発信することに意欲的な彼女は、意識が高く、他者に見られることを意識した投稿が増えた。
彼女のインスタを見ていると、友人の私生活ではなく、とある啓発系アカウントをフォローしたのか錯覚するほどに。
彼女意識の上昇に伴い増えるフォロー数と、更にそれに比例したフォロワー数。
SNSなんて個人の自由だから、どう使おうと勝手だけれど、この投稿の指す「本当の友達」が私を指しているなら、彼女に一つ言いたい。
もう「友達」ではないと。
インスタ越しの彼女は「彼氏に尽くす料理上手」に見えるがその現実は
高校生の頃からの付き合いで、何かしら依存癖のあった彼女。
時にはアイドルにハマってみたり、時にはエステにハマってみたり。
熱中すると周りが見えなくなってしまう様で、全く興味のないアイドルの遠征に付き合ったり、彼女のゴリ押しもありエステの体験に行ったり。
これも紹介すれば彼女のポイントになるというのは後日知った話だ。
そんなこんなで彼女は現在料理アカウントのインスタに没頭中。
インスタ越しに見る彼女はキラキラしていて、「同棲中の彼氏に尽くす料理上手な彼女」そう見える。
ところが現実は、先日そのラブラブな彼氏から私は電話を受け、「別れたいけど、僕がいないと彼女は頼れる人がいなくなってしまう」という相談を3時間ほど聞いた。
尽くし癖のある彼は、彼女に毎週お菓子やパックなど、大きくはないけれどプレゼントをしていたけれど、「ありがとう」その言葉が一切なくなって、おまけに次は「あれが欲しい、これが欲しい」の攻撃が始まった様だ。
「ありのまま」を貫く彼女は、礼儀を忘れてしまった様に思う
「彼女はありのままになりすぎてしまった」
そう思う。
「ありのまま」を貫き、彼氏にも友達にも接した結果、彼女は礼儀を忘れてしまった様に思う。
私自身も、新幹線で2時間の距離があるにも関わらず、
「早く会いたいね、会いに来てよ」
そんな連絡がよく来たし、誕生日前には彼女の口から、
「最近これにハマってて買うか迷ってるんだよね」
という話題をよく聞いた。
私自身は「友達なら喜ばせてあげたい」と思うし、逆に「してもらったものは礼儀として返さなければ」とも思う。
そんな認識の違いからか、まるで片思いの男の子の様に、私はことあるごとに彼女にプレゼントを贈り、高い交通費を払い会いに行った。
ところが、彼女からは一向に何も返ってくる気配はない。
別にプレゼントが欲しいわけではないが、あまりにも一方的すぎるあまり、フェアではないな。そう思ってしまった。
試しに一度、
「こっちにも遊びに来てよ」
そう言ってみたが、
「遠い」
残念ながらその一言で終わってしまった。
この不満を口にすると、彼女のいう「見返りを求める人」になってしまうのだろう。
ありのままの結果、残ったのは「諦めが良く優しいフリが上手い人」
昔は何も思わなかったこの行為が、年々苦痛になってくる。
大人になれば新しい出会いもあり、人に使える時間も減り、体力もなくなってくる。
彼女のその自由な言動に呆れながらも、腐れ縁として、怒ることも助けることもなく適度に扱う。
かと言って見放してしまうのは可哀想だと思ったりもする。
少なくとも私はそうだし、彼女の周りに残った優しい本当の友達も同じ考えなのではないだろうか。
そして、「愛には愛を!思いやりには思いやりを!」とハッキリ言える人たちは、彼女の元から去っていったのだろう。
つまり、彼女がありのまま振る舞った結果残ったのは、「優しい人」ではなく、「諦めが良く優しいフリが上手い人」もしくは「気が弱く主張できず優しく見える人」なのだろう。
冷たい様だが、彼女に言いたい。
「私、本当は見返りを求める人間だよ」と。