私は昔から、「女子の群れ」というものが怖い。

小学生低学年の頃は、近所に住む女の子たちと何も考えずに遊んでいたはずなのに、高学年になると周囲の友人たちは年頃の女の子となり「群れ」を成した。その時気に入らない子を順番に仲間外れにする、そんな暗黙の了解がそこにはあった。

当時マイペースで要領の悪かった私はもちろん、のけ者にされひどく傷ついた記憶がある。大半の女の子は、その嫌われ者期間が終われば自然と仲間内に戻っていく。けれども、私は前に仲良くしていたはずのその子たちが信じられなくなり、また元通り仲良く遊ぶことなんてできなかった。

中学受験で進学した共学校でも「女子の群れ」形成されていた

なんとか、楽しくもない苦しい学校生活に耐えながら、親にはそのことを悟られないように小学生時代を過ごし、どこか別の場所に行きたいと思い、中学受験をした。
苦しい「女子の群れ」には入りたくない一心で、女子ばかりの女子校は真っ先に候補から外し、共学の私立校へ進学した。

共学を選んでも、女子がいないわけではない。クラスの半分しか女子はいないからといって「女子の群れ」はしっかりと形成され、ここでもまた「女子の群れ」というものに苦しめられた。

中高生になったって人付き合いの苦手な私はノリもギャグセンもなく、孤立。
この頃には、ここにスクールカーストという苦しさも加わり、とても息苦しい学生生活を過ごした。

ひとりぼっちには冷ややかな目線が注がれるから、必死に一人にならないように自分と似て地味でおとなしい友人を見つけ、必死にひとりぼっちを回避していた。ひとりにならないための関係性ってとても失礼だよなって今では思うが、当時は必死であった。

24歳の今の自分から見ても、中学受験をした当時の12歳の自分から見ても、こんな情けない学生生活送りたくなかったなと思う。

女子校の想定外の日常。女子校出身者から感じた女性のしなやかな強さ

大学へ進学すると、女子校出身の人たちに出会った。そこで、女子校の日常を聞いて衝撃をうけた。
女子校生は「ごきげんよう」という挨拶をするお嬢様で、裏ではひそひそ悪口を言いながら群がっている恐ろしい存在だとばかり思っていた私には想定外だった。

女子ばかりだと、むしろ女子はたくましくなるようだ。共学だったら、男子に任せてしまうような力仕事も、女子校では女子がこなさなければならない。そこからさらに、女性のしなやかな強さみたいなものも感じ、とてもかっこいいなと思った。

男女がいる世界よりも、女子だけ、男子だけの世界にいたほうが性別というものを意識しないのかもしれない。もしかして自分は共学ではなく、女子校に行ったほうが楽しく過ごせたのかなと思うようになった。

女子校、男子校出身者には共学出身者とは違った貴重な価値観がある

もし、もう一度中学高校へ進学する機会があるのなら、次は女子校に進学してみたい。私も男子に頼らずに日常を過ごしてみたい。

社会人となった今、男女が共存する生活が当たり前となっていて、女子だけで生活するということはなかなか経験することはできない。だからこそ、男子に頼らず過ごした経験のある女子校出身者、女子に頼らず過ごした経験のある男子校出身者というのは、やはり共学出身者とは違った価値観があると思うし、それは貴重なものなのだと思う。

このような理由から現在、下火になりつつある別学も、これからもあり続けてほしいと私は願っている。