私は、今年23歳になるが、10年ほど「いい人」を演じてきたのかもしれない。
平成という時代に学生を過ごした私は、プロフ帳や交換ノートをフルに活用した世代である。小学校高学年になるにつれて、交換ノートに書く内容はどんどん変化していった。
決していい方向にではない。目にするのは女子同士の悪口や妬みや嫉妬ばかり。
本来楽しくペンでデコったりおしゃべりをするはずのキラキラ・ラブリーなノートのキャラクターたちが、むしろ恐ろしい悪魔のように見えるほどだ。
「アクション!」と脳裏に開始音が響けば、「いい人」の演技が始まる
争いが嫌いな私は悪口が特に苦手だった。クラスの女子が教室の隅でヒソヒソ話している姿や彼女たちの目の動きを過剰に察知した。そして「AちゃんはBちゃんのことが嫌いだな。明日からBちゃんは仲間はずれにされるんだろうな」という私の勘は異常に当たった。
皮肉にも女子特有の「空気を読む」という技術を、ここで習得したのかもしれない。
いっそ気づかなければよかったとも思ったが、「クラスの女子の空気を浄化するのは私しかいない」という妙な使命感にかられた。
そう、ここで私は「いい人」助演女優賞にノミネートされたのだ。
「よーい、アクション!」と脳裏に演技開始の音が響く。私の「いい人」の演技が始まったのである。
ここで大事なのが、決して目立つことなく、対立した女子の話を交互に聞き、二人の感情を把握すること。決してどちらも敵に回してはいけない。
そして、本当は仲直りしたいのに強がっているという絶好のタイミングがあるので、そこで二人を自然に交わらせる。それに向けて私は中立の立場で、対立した二人の影の通訳として動き回る。
これ以上、悪口の火が広がらないために。
ここで驚くべきことは、「誰にも頼まれていない」ということである。
無事に演技を終え、千秋楽を迎えた私は、どっと疲れてやっと我に返るのだ。
常に「いい人」でいなければ。私はそれからこの意識のもと、行動をすることになる。
この小学校高学年の経験が私の人生に与えた影響は、意外にも大きかった。
人生で一番辛い経験した時でもなお、感情を押し殺し、演じていた
時は経ち、大学2年生になった4月、大好きな父の体調が急変した。本当に突然だった。
人生の夏休みとも言われる大学生活を満喫していた私の生活とは相反して、父の体調は日に日に悪化し、長身で筋肉隆々だった父の姿はなくなっていた。
しかし、友達との遊び、バイトと目まぐるしい私の大学生生活は止まってはくれない。大学生になっても私は例の如く「いい人」助演女優賞にノミネートされていた。友達との遊びにはいつでも何時でも向かうし、バイトでも「いつも元気で明るいね」と言われる調子である。
そして、ついに父の容体が急変。訳もわからず病院に向かって、父の大好きだったビートルズの曲が病室に響く中、父は天国へ旅立った。その時の記憶は辛い記憶から自分を守ろうとしているためか、よく覚えていない。
その後、どこからか父の訃報を聞いた友人たちは「ぜんぜん気づかなかった」や「いつも笑っているから、何も悩みがなくて毎日楽しそうに見えた」と口を揃えて言った。そのとき
私は「あ、そう見えていたんだ。演じられていた、安心した」とホッとしていたのである。
これがどれだけ危ないことか今ならわかる。
当時19歳、人生で一番辛い別れを経験した私はこんな時でもなお、感情を押し殺し、「いい人」を演じていたのである。
精神の不調が第一波、第二波、第三波とじっくり年月をかけて私を襲う
そして自分の心のSOSに蓋をした私に「辛い」「悲しい」「泣きたい」の感情が第一波、第二波、第三波とじっくり年月をかけて私を襲った。
今まで精神の不調など経験したことがなかった。そんな私が、「死にたい」「もう生きたくない」「消えてなくなりたい」と夜中急に号泣することもあった。
自分が自分ではなくなる、感情がなくなる。今まで経験したことのない辛さだった。生きたくても生きられなかった父にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんな時でも、一歩家の外に出ると「いい人」を演じてしまう自分が本当に嫌いだった。
どん底まで転がり落ちた私は、このままではまずい、「いい人」助演女優を引退する、そう決めた。
誰にでも「いい人」を演じることをやめた。少しずつ引退準備を始めた私は「無理な時は無理と言う」「何かを頼まれたら相手のことを考えるのではなく自分自身に相談する」
「これを言ったら嫌われるかな?はやめてはっきりと自分の思うことを伝える」「相手の期待通りの自分をやめる」ことを少しずつ実践した。
私が「いい人」助演女優を引退する日が近いのかもしれない
こんなの当たり前じゃん、こんなこと?と思われるかもしれない。
だが、私は一歩ずつ、少しずつ自分を取り戻している。
「あれ?私って意外とはっきり意見言えるじゃん」と自分の新しい好きな部分も発見できた。
もし、少しでも同じような人がいるのであれば、自分を大切にして、自分を見失わないでと
声を大にして言いたい。
周りを見渡すと、自分を傷つける人間関係はなく、私を元気にしてくれるまたは元気にしたいと思う人が私の周りにはたくさんいたのである。私が「いい人」助演女優を引退する日が近いのかもしれない。
演技なんてしなくても、本当の私でいられる最高の居場所を自分で作り上げることができた。
今では大好きな家族、パートナー、友人、師匠に支えられて年月はかかってしまったが胸を張って父に「元気だよー!幸せだよー!」と言える。