「もうだめだ」
そんな風に思ったのは高校3年生の9月。
受験に向けて夜遅くまで毎日勉強をしていた。その日もそうだった。
さっきまで解けてた数学の問題がただの数字とアルファベットの羅列にしか見えなくなり、意味がわからなくなった。
何が起きたのか自分ではわからず、パニックったことを覚えている。
次の日の朝、学校には行けなかった。
母に「少し休憩させてほしい」と頼んだ。

塾を掛け持ち、家での勉強は最低4時間。どう考えても身体を壊す生活

そこからは地獄だった。
勉強ができない不安で眠ることも食事を取ることもできなかった。
ずっと机には向かっているが、設問の文章ですら読めなかった。何も頭に入ってこないのだ。
私は、頭がおかしくなってしまったんだと思った。これからどうなるんだろうと机に向かったまま毎日泣いた。
しばらくすると布団から出られなくなった。
特に眠っているわけでもなかったが、身体が動かなかった。
ずっとぼーっとしていたのだと思う。
その頃の記憶は曖昧だ。

私が在籍していたクラスは、医学部を目指すような人がウヨウヨいるクラスだった。
身の丈に合わないのに無理して入ったクラスだった。
でもそれが私のプライドであり誇りだった。
朝テストは毎日あった。7限まであるのは当たり前。週に1度は8限まであった。
土曜日も単位に含まれる授業日だった。日曜日は大体模擬試験があった。
授業について行くのに必死だった。
塾を掛け持ちして、家に着くのは毎日10時過ぎだった。
それでも最低4時間は家で勉強していた。

今考えれば、どう考えても身体を壊す生活だったとわかるが、その時は進学しか考えていなかった。
勉強していて気づいたら朝なんてこともあった。テスト期間になれば5日間で合計10時間しか寝てないこともあった。
毎日10kg以上あるスクールバックを持ち、電車通学。身体が歪んだ。

進学を諦め入院。センター試験の日、病院のベットで1日中泣いた

留年や休学することなんて頭の片隅にもなかった。
どれくらい学校を休んで布団の中にいたかわからないが、このままでは卒業できないと思い、少しずつ学校に行くようになった。
1週間に3日行ければいい方だったような記憶がある。
もうその頃には進学など諦めていた。
とにかく卒業だけはしたいと思い、教室で授業中ぼーっと座っていた。
先生は何も言わなかった。授業は全くわからなかった。定期テストを受ければほぼ0点だった。
保健室の常連になった。

母が見かねて病院に連れて行ってくれた。すぐに入院になった。
初めての入院は半年続いた。3学期は多分1日も学校に行ってない。
センター試験の日、病院のベットにいた。
一日中泣いていた。
悔しかった。あんなに勉強したのになんで?思った。

病院で制服に着替え、病棟の鍵を開けてもらい、補講に通い、なんとか高校を卒業することができた。久しぶりに同級生に会ったのは卒業式だった。
輝いてみえた。
せっかく出席できた卒業式で倒れた。
情けなかった。

「自分のために生きなさい」。看護師さんの言葉に心が軽くなる

何も悪いことをしていないのに、完全に止まってしまった私の人生。
頑張って頑張って頑張っただけなのに、止まってしまった。
社会に戻れないと思った。
何度も死んでしまおうと思った。けれど今もこうして生きている。
とっても生きていくことは大変だし、生きづらいと思うことも多々ある。
だが、幸いに家族や友人がサポートをしてくれた。もちろん今もしてくれている。

家族や友人のために生きようと思った。
それを看護師さんに話したことがある。
「それは少し間違ってる。自分のために生きなさい。自分のために生きているあなたを見て、家族や友人は安心するんだよ。生きている過程で恩返しすればいい」
と言われた。心がすごく軽くなった。
「あー、好きに生きてもいいんだ。大学に行くことだけが人生じゃないんだ。好きなことを精一杯して恩返ししよう」
と思えた。
その看護師さんは今でも私の恩人であり、尊敬する人だ。

一度止まってしまった人生。
歩めなくなってしまった人生。
でも今は少しずつだが歩み始めている。
いつか家族や友人に恩返しできるように、少しずつ進んでいきたい。