死人に恋をして早12年が経つ。干支が1周するまでずっと惚れ続けているのも滑稽な話だが、残念ながら事実なのだ。
「彼」は、私が生まれた時にはとっくのとうに死んでいる。今の科学技術では「彼」と会うことも喋ることもできないのがつまらない。
しかし万が一、彼と喋ることができるとしても喋らないだろう。私は陰から見つめるファンで結構。
読了後、今まで感じたことのない無力感。中2の夏、太宰治に恋をした
「彼」と出会ったのは中学2年の夏だった。
「その本を中2の夏に、絶対読むんじゃないぞ」
担任である国語の教師(三島由紀夫と顔の良く似た、熱血漢だった)にそう言われたので、クラスの中でも真面目で優秀だった私は、教師の言いつけを(逆説的に)守るべく、図書館に向かい「彼」の件の本を借りた。
本は自室で読んだ。人目のあるところで読むのは恥ずかしかった。
生まれた時からずっと、本を読むことは息を吸うようなもので、小学生の時「貴方は平成の二宮金次郎なのかしら」と言われた私だったが、そんな私でも恥ずかしかった。
本は机の引き出しに入れて保管していた。
エロ本か。
「彼」の話は、中学二年の私には難しかった。けれど、理解したいと思った。少し昔の文体だったが、なんとか読み進めた。
読了後、今まで感じたことのない「無力感」に襲われた。私は一体何を生きてきたのだろうか。私はこれから一体どうしたら良いのか。生きるとは、はたして何なのか。
同時に、「彼」に対してジリジリと焦げるような感情を抱いた。
「彼」のことをもっと知りたい、「彼」の理解者になりたい、もう「彼」のことしか考えられない。
そう私は、中2の夏からずっと、太宰治に恋をしている。
恋をして12年目、ついに彼の東京の住まい跡と彼が死んだあの場所へ
私は彼のことを名前で呼ぶことに恥じらいを覚える。
なぜ恥ずかしいのか。恋をしたことのある人間なら分かるだろう。好きな人の名前を呼べないこの乙女心とやらを。
好きになって1年経った冬、地元の文学館で彼の特別展をやることを知った。彼の写真が印刷された割引券を握りしめ、両親と共に、彼に会いに行った。
そこには彼のよく着ていたコートや、彼が執筆をしていた文机や、彼の直筆原稿が並び、まるで彼が隣にいるかのような錯覚に陥った。
私の家族は皆、私が彼のことが好きなことを知っていた。よく青森に出張に行っていた父親は、彼の本の形をしたりんごのお菓子を買ってきてくれた。パッケージは、私の本棚に飾ってある。
彼との「交際」はとどまることを知らず、好きになって12年目の夏、私はついに彼の東京の住まい跡と、彼が死んだあの場所まで行ってしまった。最早ストーカーだ。
ちなみに、彼の終の住まいである某駅に着いた途端涙が溢れたので、大概にしろ、といったところである。
無料で開放されている彼のギャラリーで、まるで舐めるように展示を眺め大量のグッズを買う私に、スタッフさんは苦笑を浮かべながら丁寧に包んでくれた。
ここが恋焦がれた彼が眠る場所かと思うと、胸がギュッと締め付けらる
「太宰さんのお墓は、もう行かれましたか?」
ああなるほど、ここの人は彼のことを「太宰さん」と呼ぶのか。まるで知り合いのようで羨ましい。行っていないと首を振れば「ぜひ行ってみてください!」と地図を渡された。
手汗で地図は皺になっている。私は以前、友達にこんなことを話していた、
「私、彼のお墓に行ったら泣き出すかもしれない」
まあ、彼のお墓どころか駅に着いた時点で泣いているのでどうしようもないが。
夏の東京は暑い。ジリジリと肌が焼けるようだ。地図を持った手の甲は蚊に刺された。
軍医であり小説家である森鴎外先生の大きな墓の向かいに、彼の墓は当たり前のように立っていた。あまりに普通にあることに拍子抜けした。
ここが私の恋焦がれた彼が眠る場所かと思うと、胸がギュッと締め付けられた。突然右肩が重くなった気もしたが、それは肩に掛けていた鞄のせいだろう。私は彼を愛しているが、彼は私を認知すらしていない。
手を合わせ、言葉にならない言葉を頭の中で語りかけ、落ちていたゴミを拾ってその場を後にした。帰りの中央線で、彼の本を読んだ。
「愛と美について」。
私は彼を美しい人だと思っている。完全に、私の中で美化している。きっとこれからも私は、彼のことを勝手に美しいものと捉え続けるだろう。
彼のことを恋し続ける限り。