自分が何色なのか、ふと思う時がある。
「あなたはナチュラル系の服が似合う」
そうなのだ。
「あなたは体育会系の男子とお似合い」
そうかもしれない。

私はいつもカメレオンのように変化する。
「どんな服が好き?」
「どんな人がタイプ?」
カメレオンのように擬態している自分にとっては、自分がどんな色かも思い出せない。

「どんな仕事をしたい?」
「どんな理由でこの仕事を?」
受動的に生きてきたわたしは、どんな仕事をしたいのかすら分からなかった。 

「きみは英語ができるし、子どもが好きだから、英語の先生なんかはどうかな?」 
じゃあきっとそうなんだ。こうして私は英語が好きで、子どもが好きだからという周りのイメージに染まったまま就職をした。

「私はもっとこうした方がいいと思う」
「子どもたちのためにはきっとこう」
何故みんなは生き生きとしているのだろう。

「君は自分の意見はないのかね?」
「鈍臭い」
「プロとしてどうなんだ!」 
そしてプツンと自分の中の何かが切れた。

カメレオンなわたしは自分の色を知らないまま、ひたすら擬態し続けた

カメレオンであり続けた自分は自分の色を知らないまま、ただひたすらに擬態し続けた。
自分の色を知る生き生きとする他人を見るのがしんどくなった。
そして心が真っ黒くなり、鬱病となってしまった。
その後働けなくなり、好物のブラックサンダーすら半分も食べれなかった。
そして仕事も休んでいるため、ただただ時間が過ぎていった。
そんな中で医者から日光浴を勧められて散歩をすることにした。

すると気づいた、空が深く蒼く美しい事。
頬に当たる風には季節ごとの匂いがある事。
さらには水の流れる音や、鳥の声がこんなにも美しいのだと気付けた。そこから自分の世界に入り込み、気づいたら家の玄関まで来ていた。
あっという間の散歩、でも深い散歩。
初めて自分が能動的に感じた感情。
その後も日々散歩の中で景色を見つめては景色の色を感じ、心が潤った。

こんなにも擬態できる自分を言い換えれば「感受性が豊か」、「素直」

思えば昔から自然が好きで、よく空想に浸っていたなと思い返した。ふとそこで考えてみた。
まずはこんなにも細かく景色の色や風の匂いや音を感じられる自分の強みとはなんだ?
こんなにも周りの言うことに従順に応えて、擬態できる自分とはなんだ?
言葉で言い換えれば「感受性が豊か」、「素直」である。
これが初めて自分の性格に自ら気付けた瞬間だった。

その後自分の心に「素直」に従った。
髪の毛を染めたければ染めたのと、パーマをかけたくなったので、かけてみた。
見た目や性格などは大分分かってきたように思う。

しかし後1つだけ、「やりたい仕事はなんだ?」これだけが分からなかった。
復帰するかも悩んだ際には、
「教育関係なんて不況に強いよ」
「英語できるんだから勿体ない」
これを親に言われたて、確かにそうかもしれないと、自分に言い聞かせながらも静かに擬態をした。
復帰した後は確かに楽しかった。
以前に比べれば自分の色を出せていたからだ。
しかし少しずつずれを感じるようになった。

自分がカメレオンになった理由は「世間の目を気にしていたから」

その後ある時、無性に髪を切りたくなった。
しかも今までしたことないくらいに短くしたくなった。しかし悩んだ。
そしてGoogleで検索した「ショートヘア女性 魅力」。
そして気づいた。自分がカメレオンになった理由は「世間の目を気にしていたから」。
親にしろ、自分にしろ、周りにしろ、全てが「世間」を基準にしていたからだ。
これが自分をカメレオンにさせたのだと。

これに気付けた時、自分は決めた。
男性のように短く切ると、そして切った。
そこからは早かった。
ターバンを頭に巻いたり、カーテンを捨てたり、今までした事ないような事をどんどんした。
きっかけは髪を切ったその瞬間だったが、それ以降はどんどん自分の声に従うようになった。
そして世間に合わせてピンクばかりを選んでいた自分は、本当に自分が好きな色を思い出した。
青色だった。

こうして色を忘れたカメレオンは無事に思い出したが、今日もこの「日本」という国は「世間」が基準である。
きっと今日もどこかでカメレオンが泣いている。
でもそんな時はどうか思い出して欲しい。
「自分」がまずは何が好きで、何が心地良いのか。
「世間の基準」なんて、その次の次の次の次くらいに確認すれば良いのだ。