3日前、彼氏と別れた。話を切り出したのは私だった。
だけど、本当の理由は伝えていない。
彼の一部が私の譲れない一部の感受性とズレていて「別れ」を選んだ
付き合っている間、趣味が合った私たちは幾度となく旅行に出掛けた。優しく楽観的な彼がいれば頑張れたし、彼といる時間は安らいだ。 多少のぶつかり合いもあったけれど、さほど大した問題ではなかったし、互いが誠実に解決してきた。 異なる一面もお互いが把握し、摺り合っていたような気がする。
だけどその度に、私は毎回関係のない嫌味を口にしてしまう。それは「理解できないけれど把握はしている」と思えていた彼の根本的な価値観でもあった。特段不満点に値はしていなかったものの、きっと一生理解することはできないその事項を彼の言動から感じるたびに、嫌味に口から放ってしまっていた。直すことは出来ないし、きっと直すべきでもない彼のほんの一部が、私の譲れない一部の感受性とズレていた。
休日の昼、外は快晴だった。そんな穏やかな日に私は、電話で別れを持ち掛けた。本当の理由には触れずに、二の次である小さな不満を理由にして。
その言いようは、彼を傷つけてしまったかもしれない。突然の話に彼は「1日考えさせてほしい」と言ったが、肌寒さが戻った夜中に再度電話をすると「この話が出てしまったところで先が上手くいくとは思えない、別れたほうがいいと思う」と話してくれた。
何度も言葉をつまらせる彼は、私を愛していてくれたと思う。すでに意味を成さないその確信は私の決意を揺るがし、自ら別れを持ち掛けたにも関わらず電話口でグダグダと泣いた。解決策は本当にないのだろうかと、もがく私は到底誇れる自分像ではなかっただろう。彼も呆れたかもしれない。
彼が悪いわけじゃないけど「別れ」は、間違っていなかったと思う
まるでパズルのピースのように、ほんの少しデコボコが合わなかっただけ。そして、それは最後のピースかのように思えた。他はぴったりなのに、あとひとつが合わず完成しない作品みたいだったから。
ピースはひとつ足りなければ、途端に脆くなる。そんなふたりの行く先を想像し、決めた別れだった。その足りないひとつのピースのせいで、彼を傷つけてしまうこともあるかもしれない。尊敬できなくなる日が訪れそうで怖かった。
1日中考えてくれたであろう彼が、別れを選ばなければ、関係を続けていたかもしれない。感情だけでなく客観的にも考えられるそういうところが好きだと、電話越しにボーっと考えていた。口には出していない。「大好きだった」という彼の声と「この先上手くいかないと思う」という言葉だけがやけに耳に残っている。
この結果が間違っていたとは思っていない。 私にとって重要なピースともいえる、本質的な価値観と感受性が異なったから。全くもって、彼が悪いわけでもない。
もし擦り合わせようものなら、それは例えるなら「冬に半袖で歩き、夏にダウンジャケットを着ろ」と言われるほどに難しく、とりわけ意味もない行為だ。どうしようもなかったのだと思う。だから辛いだけ。大好きだったから、辛いだけ。
彼と別れて、彼を思い出しながら「新しい日々」の始まりを見る
別れた次の日は、まるで春の陽気だった。彼がプレゼントしてくれた服で溢れるクローゼットに、思わず「あ~…」とため息が漏れた。「ありがとう、堂々と着ます」とつぶやきながら茶色いニットに腕を通す。
必死に外へ出向いた私を撫でる風は生暖かく、なんだか泣きそうになった。彼と手を繋ぎ歩いた道をひとりで踏みしめる。彼にアドバイスをもらいながら買ったヘッドフォンをして、友達の働いているカフェに着くと、彼が持っているレコードの曲が流れた。だけれど、それを口にすることはしなかった。
暖かさに彼を感じた一日に、新しい日々の始まりを見る。それは切なくも淡い、まさに春のようだった。
この想いが公になる頃には、春が訪れているだろう。暖かい風が吹く中、彼が友達とくだらない話をしながら笑っている景色が浮かぶ。できれば別れてからぐだぐだと文をしたためている私を、知らぬまま笑っていてほしい。ただ、区切りたかっただけ。
ふたりでいた日々は、これからも私の一部として生きていくだろう。あの日々が、彼の人生にとってプラスになってほしいと願う私は、我儘だろうか。たくさんの幸せを本当にありがとう、感謝を込めて。