十数年の推しが大炎上。それでも彼の全てを推し続けるとここに誓う

朝起きたら推しが燃えていた。
冒頭から、最近大きな賞を受賞した、話題の本のタイトルのようなことを言わせてもらったが、まさか私の推しがこうも燃え上がるとは思っていもいなかった。
もうびっくりの大炎上である。友人の推しが女性関係の騒動で燃えているのは何度か目にしたが、私の推しはメディアへの露出も少ないし、何か取り立たされるような不祥事があるわけないと高を括っていたが故に、とんでもなくショックだった。
数ヶ月前に、彼は表舞台から引退した。十数年推してきたが、ここらへんが潮時だったかもしれない。
当時は、舞台の遠征は当たり前で、DVD、CD、本と彼の名前が載っているものは全て購入し、彼のブログは滅多と更新されないが毎日アクセスし読み返した。あまりテレビに出る彼ではなかったので追うのはそんなに難しくなくて、逆にその露出の少なさが彼を知りたいと思う気持ちに拍車をかけた。過去の映像や雑誌を集め、彼が好きだと言っていた本も読んだし、動物園にも行った。
学校の友達で彼を知っている子はいなくて、クラスで私だけが彼を知っていた。それはまるで私しか彼を見つけられていないような、私だけが彼の魅力に気付けたような妙な優越感を生んだ。みんなの彼ではなく、私の彼だったのだ。
陳腐な表現ではあるが、彼のおかげで世界が華やいだのは確かだ。
しかし、ここ数年は舞台での活動も少なく、裏方にまわるようになり、なんとなくではあるが彼も彼の見つけた新たな道に進んでいるのだろうと思い、何が起きてもいいような覚悟はできていた。
私も世にいうアラサーで、いつまでも画面の向こうの人に割く多大な時間もお金もないことはわかっていたから、彼が引退するなら私のファン活動も終わりだと、彼の引退宣言を知り、寂しさと共に安堵の念を抱いた。
「あるんだー、実際」
そう呟いたのは嘘ではない。
朝起きると、Twitterのトレンドに彼の名前があった。じわりと嫌な汗が出る。
内容を確認すると確かに仕方がないことだった。確かに彼が過去に行ったことだった。
仕方がない。わかっている。しかし、尾鰭がつきまくって、まるで人格まで否定するかのように書かれているのが本当に許せなかった。いや、現在進行形で許せない。怒りのあまり涙が止まらなかった。
その後に彼自身が反省し、彼の表現のスタイルが変わったこと、彼のそれからの業績は無視されて、世間に広まってしまった。何も知らなかった人たちが彼の過去の言動を許せないと怒りの声を上げているのを目にする数日が続いた。
そろそろ、彼を追いかける十数年のファンとしての活動に終止符が打たれようとしていた時であったのに、こんな出来事が起こってしまった。
このまま我々は離れていいものなのか。我々ファンが、いや、私が、彼を応援しないでどうするのだ。私たちはそこら辺の記者よりも、コメンテーターよりも彼を知っている。なんでかって、ファンだからだ。
何年も何年も、実際には言葉を交わせもしない、触れることもできない彼を追いかけ続けた我々を舐めないで欲しい。
彼が傷ついているかもしれないと思った時、彼のDVDを見た。変わらず胸がキュンと鳴った。つくづく彼が好きなのだ。
彼が表現者を辞めても、私は表現者だった頃の彼を知っているし、いつまでもそれが色あせないから。表現者であった頃の彼も、それを辞めてしまった彼も、世間で誤解されてしまった彼も、全てを推し続けることをここに誓った。
またここから、私の恋が続くのだ。きっとこれは私が死ぬまで終わらないのだと思う。
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