「僕たちの存在や活動であなたが元気になるかもしれない。そんなちょっとのことでいいからあなたを支えたい」
これはわたしの「推し」が以前コンサートで言っていた言葉である。

約15年。アイドルを応援している私にとって推しは「元気の源」だ

私にとって「推し」とは、大げさに聞こえるかもしれないが「元気の源」であり、「生きる糧」なのである。
何がきっかけだったか今となっては定かではないが、物心ついたころから約15年、私はアイドルを応援している。

はじめて好きになったアイドルを大きな会場で生で見たとき、なんてキラキラ輝いた存在なんだろう、と感動して、何も言えずその場で立ち尽くしていたのを今でも覚えている。それは日常とは離れた夢の世界であった。

アイドルを推すということは、ファンクラブに入ったり、CDや限定グッズを買いに炎天下の中並びに並んだり、テレビや雑誌に出る推しを血眼になって凝視したりなど、多くのお金と時間を費やす。言ってしまえば大変であり時に疲れを感じることもある。
しかしそれ以上に自分自身に元気という莫大なエネルギーを与えてくれるのだ。

ねむけ眼で食事をする朝、いつもと変わらない彩のない景色を見ながら出勤、定時過ぎまで様々な業務を淡々とこなし、退勤する夜。このコロナ禍ともあれば、さして誰との約束もなく疲れ果てて直帰する毎日。

化粧っ気のないマスクの下はまるで実年齢を大きく上回るかのような老け込みを重ねている気がする。そして気づかないうちに目まぐるしく季節と時間は過ぎていく。

干からびた心を潤わしてくれる推しは、元気が出る魔法をかけてくれる

そんな毎日でも、『夜~時から歌番組・バラエティ』『雑誌発売』といった、スマホに打ち込んだ予定を一目見れば、そのために今日一日を頑張ろう、早急に仕事を終わらせようと、意気込みとやる気がみなぎり、不思議といつもより元気が出てくるのだ。

何か元気が出る魔法でもかけてられているのだろうか。そうに違いない。
テレビの向こうに映る推しは、自分と同年齢ながらもアイドルという姿で歌い踊り、ニコニコと弾ける笑顔を見せている。そんな彼らの姿を見ると自然と笑いの少なくなった自分の顔がどんどんやわらかくなり、干からびた心の潤いを本当に実感する。

しかし、アイドルも我々と同じ人間であるとともに、彼ら自身の日常を送って生きているはずである。彼らにだって憂鬱な気分になることや、やる気が起こらないことの1つや2つは当たり前にあるだろう。

そのような姿を1ミリたりとも顔にも態度にも出すことなくプロの「アイドル」として日本中いや世界中のファンに元気を届けている推しには頭が上がらず、感謝の思いしかない。この場を借りて言っておこう。

あなたを支えたいと言われたファンの一人から、あなたに伝えた想い

いつも元気を与えてくれてありがとう。

「あなたを支えたい」と言われたファンの一人ではあるが、応援を続けていくことで「あなたを支えたい」と心から思う次第である。
いつかこのエッセイを読んでくれることを祈って。

と、この文章を夜な夜な打ち込みながら、この前録画しておいた推しの番組を見ている。
あ、笑った。なんてかっこいいんだろうか。

これで明日も少しは頑張れそうである。