「頑張ります」と自分を奮い立たせていた言葉の効力が、急になくなってしまった。
当たり前に朝がきて、会社に行くという日常が日常でなくなったのは約数か月前のこと。
毎日寝たか寝ないか分からない状態でも、無理やり朝ごはんを食べ、仕事に行く原動力になっていたのは、この生活が私の周りの日常でもあり、自分だけ大変ではないという気持ちや、どうしてもなりたい職につけたのだからという思い。いや、本当は自分の居場所をなくしたくないという意地みたいなものだったのかもしれない。

仲間や先生方のおかげで、なんとか電車運転士の学科試験に合格

3年前、念願かなって電車の運転士になった。
子供の頃は電車とは無縁の生活をしていたし、車の免許もあるが、そこまで運転したこともない私は同期の中でも落ちこぼれだった。
桜は散ってしまったが、木々の緑が美しい季節。久しぶりの教室で、学生に戻ったような懐かしさと、新しいことが始まる高揚感に包まれていた。仲間と勉強できることが嬉しくて笑顔も自然と多くなった。
しかし、その嬉しさに浸れたのは中間テストを受ける前までだった。学科は大学受験の時のやり方を参考にしながら勉強していたのだが、不得意分野の勉強は思っていた以上に頭に入っておらず、今までのやり方では太刀打ちできず大失敗。自分では頑張っていたつもりだったがゆえに、ショックは大きく、悔しくて泣いた。
それからすぐ期末試験がやってきた。中間テストで大失敗してから、自分なりに勉強のやり方を変え、仲間や先生方のおかげでなんとか合格することができた。

1人で運転する仲間を見るたび、焦る、失敗、焦る、失敗の繰り返し

息つく間もなく、その後も試練の連続だった。今度は実技試験に何度も落ちた。
学科とは違い臨機応変な対応も必要になる。練習中には起こらないことや、緊張して、いつもならしない失敗をしてしまう。2回3回と私が試験の回数を重ねている間に仲間はどんどん独り立ちしていく。1人で運転する仲間を見るたび、焦り、不安な気持ちになった。
焦る、失敗、焦る、失敗の繰り返し。不合格の嵐で落ち込む私に先輩方からの言葉や、ちょっとしたお菓子のプレゼントなど、あたたかい気持ちをもらいながらなんとか頑張れていた。
晴れの日も、雨の日も、曇りの日も一通り経験し、ようやく合格できたのは最初の試験から数か月が過ぎた、よく晴れたあたたかい日だった。嬉しいというよりも、やっと終わったというホッとした気持ちから、また泣いてしまった。
独り立ちし、時間に追われながらも充実した日々を過ごせていた。
先輩方に追いつけるようにと頑張っていた。お客様からありがとうと言われることも増えた。子供が運転席の後ろでかぶりついて、キラキラした目で私を見ながら楽しそうにしている姿は私に潤いと幸せを感じさせてくれていた。

迷惑かけないように、歩き続けることは正義だと思っていた

そんなある日、体調を崩し、しばらくは休養をと言われてしまう。
「頑張ります」と躓きながらもずっと走ってきたが、私は止まってしまった。
友達に「GWいいなー」なんて言っていたのに、GWよりも遥かに長い休みを急にいただいたものだから、何をしていいか分からなくなった。
最初はかなり後ろめたさを感じていたが、目覚ましをセットせずに寝て起きて、お腹がすいた時にご飯を食べることができる、こんな当たり前の事がすごくありがたいことで、歩みを止めなければ気が付けなかったことだったかもしれない。
歩き続けることは正義だと思っていた。迷惑かけないように、誰かが喜んでくれるように。
だから自分の意見は無視しがち。大切に思う人にはなおさらで、「なんでもいいよ」「大丈夫」が常套句。
でも、これからは止まらない努力ではなく、誰かのためだけではなく、自分を大切にする道を選ぶ努力をしようと思う。