水泳部、そしてマネージャー引退。去年の夏はあんなに待ち望んでいたはずのこの日。迎えられてさえいなかったかもしれない引退式。
それなのに3年生になった私は、みんなと離れるのが寂しくて、「ありがとう」と言いながら涙を堪えていた。
マネージャーとして部員を支えられない無力さに、辞めることを決意
「マネージャーを辞めたい」
高校2年の夏、意を決して私は選手のみんなにこの言葉を吐き出した。
世は新型のウイルスの話題で持ちきり、学生の部活のことなんて誰も目をくれないどころか、学校自体が休校、部活動も停止、もちろん夏の大会は全てなくなった。そんな中、選手たちのモチベーションは上がるはずもなく、休校が明けても何ひとつ目標のない部活に活気が戻ることはなかった。
私自身、マネージャーとしてそんな部員達に何もしてあげられない無力さを痛感し、あの頃はそれに耐えることが出来なかったのだ。
「マネージャーの仕事は選手を支えること」
水泳部は夏の部活。運がいいのか悪いのか、とびっきり日当たりのいいプールサイドは暑くてたまらない。
何度塗り直しても意味をなさない日焼け止め、止まらない汗、選手の容赦ない飛び込みでビシャビシャになる毎日。こんな日々でも私がマネージャーを続けていられたのは部員のみんなのおかげだった。
「今年の夏は絶対ベストだすから見てて。いつもありがとう」
普段からふざけてばかりいて、おいしいものには目がなくて、プールサイドを走り回っているあの子も、いざ、水泳のことになるとこんな言葉だって言ってくれる。
泳ぎ始めると目つきが変わるし、何かあるとすぐに私達マネージャーの名前を呼んでキラキラした顔で報告してくる。
そんな選手のみんながかっこよくて、どこか愛おしくて、何より溢れんばかりの笑顔が大好きだった。
みんなのやる気が私の元気の源で、みんなの努力が報われることが、私にとっての幸せだった。だからそんな日々が奪われた部活に、私は自分の居場所まで見失ってしまったような気がしたのだ。
自分勝手な辞める宣言が、大好きな部員の笑顔を奪ってしまっていた
マネージャーを辞めると宣言した日、私は何の感情も出てこなかった。それを聞いた部員の「どうして」「辞めないでほしい」という言葉すらどこか上辺だけのように感じて、素直に受け止めることができなかった。
でもその一週間後、こんな私の沈みきった気持ちを変える出来事が起こったのだ。
「続けていく理由が分からなくなったの」
「だからそれはなんで?」
「なんでって言われても……」
意地を張りっぱなしで、全く考えを変えようとしない私に、選手のみんなは質問を続ける。
止めてくれることへの感謝と、切なさでごちゃごちゃした心に戸惑いながら、「だから!」と言葉を繋ごうとしたその時だった。
「あの日、マネージャーを辞めたいって話してくれた日、部室であいつ泣いてたよ。あいつだけじゃなくて、みんな悲しそうな顔してた。部活に笑顔がなくなった」
「だから辞めないでほしい。マネージャーでいてほしい」
1人の部員から悲しそうな声で吐き出されたその言葉を聞いた瞬間、私は驚きと悲しみで頭がいっぱいになった。
いつも騒がしくて、誰よりも元気な部員を泣かせてしまったこと。何より、大好きだったみんなの笑顔を奪ってしまったことがショックで、言葉がでてこなかった。
マネージャーでありながら、みんなの支えになれていないんじゃないかと思い込み、これ以上部活を嫌いになる前に辞めてしまおう。心のどこかでそんな風に思っていた自分がどんなに愚かだったか。自分勝手だったか。苦しいのは自分だけじゃないことくらい分かっていたはずなのに。
その日、私から言葉の代わりに出てくるのは溢れんばかりの涙だけだった。
「マネージャーの仕事は選手を支えること」。それは私の勘違いだった
そして、最後の大会の日。私は手にストップウォッチを握りしめて、タイムを読んでいた。
そしてプールサイドからは大好きな選手達がこちらを向いて手を振っている。
溢れそうになる涙を必死に我慢していたことはきっとバレていない。あの時奪ってしまった笑顔を取り戻すためにも、私が笑顔でいよう。そんな些細な自分との約束を噛み締めながら手を振り返す。
「マネージャーの仕事は選手を支えること」。それは私の勘違いだったのかもしれない。
私はいつだって、大きすぎるみんなの存在に支えられながら過ごしてきた。
そして何より、私という人間と向き合う時間を作ってくれた。
いつだって感謝を忘れない、みんなからもらった「ありがとう」の数は、私が笑顔でいられた時間の証。
あの時止めてくれたこと、笑顔を分けてくれたこと、一緒に青春をさせてくれたこと。
全部全部ありがとう。
あなた達のマネージャーが出来て、私は世界で一番幸せです。