偏差値69の高校に通っていながら受験生を辞めた。夏休みが明けたら、使うつもりのなかった推薦の枠に希望を出す。
中学受験を終えた時、「もう大学まで受験なしだな」なんて言ってくるおじさんに「いやいやあんな低レベルな大学、誰もエスカレーターで行かないですよ」って心の中で毒づきながらニコニコしてたのが懐かしい。

講習についていけないだけのことだけど、受験でもう戦えないと思った

何かが切れた。受験生になり切れなかった1学期は、あっという間に終わった。勉強のことしか考えなくてよい、いや勉強のことしか考えちゃいけない、受験生の夏がきた。だけど、私は受験生を辞めた。
身内が倒れた訳でもない。実家が倒産した訳でもない。世界史の夏期講習についていけなかった。それだけと言ってしまえば、それだけのこと。なのに何故か、もう戦えないと思った。戦わなくちゃとも思えなかった。
軽自動車が買えてしまうような額を、私の頭に投資してくれた両親のことを考えなくちゃいけないのに、それもできなかった。

小学校3年生のときから私が過ごした受験の世界で「勉強」とは、学びというより競技だった。ドロップアウトした私にそれを良いだとか悪いだとか言う資格などないが、ただそう思う。
太宰や漱石が東大に行っていた時代もそうだったのだろうか。天才は違うのだと、そもそも今とは制度が違うのだと言ってしまえばそれまでだが、時たま考える。

テスト結果は自己実現欲求承認で、勉強は私のアイデンティティ

勉強は私のアイデンティティだった。テストの結果で、自己実現欲求を満たした。
自分が運動音痴であることに凹んでも、男の子にモテる可愛い女の子でないことに気付いても、私には勉強があるから大丈夫なのだと本気で思っていた。
しかし高二の頃、勉強しかない自分に嫌気がさした。受験勉強に本腰を入れ出す友人にもついていけなくなり、自分からそのアイデンティティをないがしろにした。受験が近づけば、自分は今までの競争社会に戻るのだろうから今だけは、と余計にその意識に拍車がかかったが、結局私は受験を辞めた。
「受験戦争を勝ち抜いてきた自分」というアイデンティティは二度と手に入らないものになった。

100頑張れるけど80だけ、というのも尊重される時代だから

「私が学生の頃は100頑張れるなら100頑張れ、なんなら120頑張れっていう時代だったけど、今は100頑張れるけど80だけっていうのも尊重される時代だと思うの」と、超就職氷河期に学生時代を過ごした先生は言った。
今の自分が限界なのか、本当はあと20頑張れるのかは正直分からない。それに、その判断は他者に委ねたり、何か数値化できるもので確認したりする方が容易であるように感じる。
だが、「100頑張れるけど80だけっていうのが尊重される時代」というのは、「自分の頑張りを自分なりの基準で評価して、満足することが求められる時代」なのだと思う。自分と向き合い続けなければならないという点で、わかりやすい成功よりも難しいものが求められているのかもしれない。
そして、だからこそ「いつでもやり直せる時代」なのだとも思う。昨日の自分を少しでも超えていければ良い。そんな自分を褒めてあげれば良い。目に見えにくい機微な自分の変化を、恥ずかしがることなく喜んで良い時代なのだと思う。
明日の自分への贈り物を考えながら、小さな挑戦を重ねていく。そんな人生を生きていきたい。