SNSを通じて、短い文章やスタンプ、「いいね」ボタンで簡単にコミュニケーションを取れる世の中。一方で、自分の気持ちや考えをちゃんとした文章にして、相手に伝えられるようになりたい、という方も増えているように感じられます。

もしあなたが「文章を書けるようになりたい」と思いつつ「でも、書くのは苦手だな」と感じているのであれば、恋愛でも友だち関係でも、自分の経験したことを素材にするエッセイは、「相手に読んでもらう」ための文章を書くことに慣れ親しみ、文章表現をみがくトレーニングとしては最適です。

新型コロナウイルスのため、外出自粛などが呼びかけられている時節柄です。
巣ごもり中のちょっとした時間をつかって、気軽にエッセイを書けるようになるコツをご紹介します。

今回は最終の3回目です。

STEP7 エッセイのタイトルについて

「かがみよかがみ」では、エッセイ投稿の際にタイトルを決めていただいていますが、基本的にそれを参考にしながら、最終的には編集部で決めています。

いいタイトルは読者を引きつけてくれるものであり、タイトルはエッセイそのものと同じぐらい大事なものです。

これまでに投稿されたエッセイのなかには、

・2021年に私がやりたいこと
・はるかなる日々へ ~私の思い~

のようなタイトルもありました。編集部で新しく作成することはお知らせしており、それを前提にこのようなタイトルをつけているならいいのですが、「このまま変更しないでください」とお願いされることがときどきあります。

しかし、パソコンやスマホの画面に並んだエッセイのなかから「どれを読もうかな」と選ぶ際、タイトルがかなり決め手になってくることは、みなさん想像できるかと思います。

恋愛の話なのか、家族の話なのか、お仕事の話なのか、まったく伝わってこない「はるかなる日々へ」というタイトルは、たくさんの人がクリックしてくれるでしょうか?

恋愛のエッセイと思ってクリックしてみたら父親の話だった、となったとき、どんな気持ちになるでしょうか?

そういうわけで、編集部では、他のエッセイとの差別化を図るため、エッセイの内容にあるエピソードを抽出して見出しに取ることが多いです。

・修正前)2021年に私がやりたいこと

・修正後)告白から3年。今年こそ彼との思い出が詰まったバイトを辞める

このようなイメージです。
修正後のタイトルのほうが、書かれている内容をイメージできますよね?

みなさまもタイトルを考えるときの参考にしてください。

STEP8 表記のルールについて

文章は自由に書いていいものです。
どのように書くか、どんな表現をしたいのか、それは書き手が決めることです。

しかし、読む人と書く人が同じ「ルール」を共有していないと、どうしてもギャップができてしまいます。
そんな一般的な表記のルールについて、まとめてみます。

・「」や『』といったカギカッコ

「」は会話文を示したり、強調したりしたいとき。
『』は「」の中でさらに言葉を強調したい場合や「」のなかでさらに会話を入れる場合、または本の題名を表すときなどに使われます。
例:私は「あの時『頑張れ』って言ってくれたじゃないですか」と叫んだ。

他にも《 》や【 】、” ”がありますが、日本語の文章であまり一般的に使われているものではありません。
使いたい場合もあると思いますが、「自分だけにしか通用しないルール」で書くことになってしまい、読む人がそれを否定的に受け取るおそれがあります。

・カギカッコの最後には句点(。)をつけない

あの子は言った。「彼は好き。あなたは嫌い。」と。
→あの子は言った。「彼は好き。あなたは嫌い」と。

というような書き方になります。
似たようなケースですが、カギカッコがない場合はこうなります。

あの子は、彼は好き。あなたは嫌い。と言った。
→あの子は、彼は好き、あなたは嫌い、と言った。

基本的には「。」があれば文章が終わる、と思ってください。

・読点(、)を入れる

句点(。)を忘れることは少ないと思いますが、読点(、)がかなり少ないエッセイは結構あります。

たとえば、こんな文章はどうでしょうか。

父はジュースを飲みながらごはんを食べていた私を見ていた。

読点を打ってみましたが、以下をごらんください。

・父はジュースを飲みながら、ごはんを食べていた私を見ていた。
・父は、ジュースを飲みながらごはんを食べていた私を見ていた。

ジュースを飲んでいるのは父なのか私なのか、読点の場所で変わってきますね。

読点の有無や場所だけの話ではありませんが、自分の書いた一文が、考えていた趣旨と違った形で読んだ人に受け止められることは、結構起こります。
読み返すときに気をつけていただければと思います。

STEP9 表記の統一について

表記の「ルール」と関連しますが、見落としがちなのが、表記の「統一」です。

日本語は、同じことばでも漢字で書いたり、平仮名や片仮名で書いたりもできます。
しかし、ひとつの文章のなかで表記が違うと、「別のことを指しているのかな」「どうして違うんだろう」と読む人の気持ちがそこにひっかかってしまいます。

たとえば、1人称です。「自分」のことは私、わたし、ワタシ、あたし、あたい、自分などと書くことができますが、使い分けるにも注意が必要です。
そのほか「事」と「こと」、「為」と「ため」など、混在しやすい漢字があります。

また、文章の「末尾」も統一したほうがいいです。
どんなことかというと、文章の末尾を「~だ」「~である」とするか、「~です」「~でした」にするか、ということです。

このようなケースはあまりないと思われるかもしれませんが、混在している投稿エッセイは実際にあります。

もちろん、エッセイの途中で手紙の一文を引用したり、だれかへに向けた言葉をはさんだりと、あえて変えることもあります。

たとえば、父親についてのエッセイで、「父親は~だった」と書く部分と、父親に向けた手紙のように「お父さん、~でした」と書く部分があるようなケースです。

このような場合、「ここの文章では『父』、ここからここまでは『お父さん』と書く」という使い分けのルールを間違えると、「あれ、手紙の部分はさっき終わったんじゃないの?」などと読む人を混乱させることになります。

細かい指摘と思われる人もいらっしゃると思いますが、これらの点によって、書いた人が文章に対してどれだけ注意を払って書いたか、気持ちを込めているか、が見えてきます。
さらに言うと、書いた人が「読んでくれている人」に対してどれだけ気をつかっているか、も見えてきます。

だれかに向けて書いているならば、自分の気持ちがしっかり、正確に伝わってほしいと思いますよね。
言葉に気持ちを載せて、思いのままに書いた後、「ちゃんと伝わってくれる文章になっているかな」と思いながら、できあがったエッセイを読み返してみてください。

          ◇

言葉が使えて、会話ができるのだから、文章を書けるのは当たり前だと思っていませんか。
だれもが書けて当たり前なのだから、書くのが苦手な自分は劣っていると、コンプレックスを感じていませんか。

そんな風に思う必要はありません。
最初からうまく書ける人はいません。やはり、「コツ」や「慣れ」が必要なのです。
どんなことに気をつけて書けばいいか、それがわかっていれば、「人に伝わる」文章はどんどん書けるようになるのです。

あなたが経験してきた過去、今見ている現在、向かおうとしている未来を、あなた自身の、あなたにしか語れない言葉で豊かに描いてみてください。

かがみよかがみ編集部では、みなさまのエッセイをお待ちしております!