小学生のとき、「子どもなんて産まなければよかった」という言葉を母から聞いてしまった。誰かに聞こえるように言ったのか、誰もいないと思って言ったのか、わからなかった
し、覚えていない。

母が言った「産まなきゃよかった」という言葉は、私の心に重く残った

なぜこの言葉が母の喉からあふれる水のように出てきたのか、理由は充分知っていた。私の9つ離れた姉がうつ病を患い、自傷行為だの自殺未遂だの、そういった出来事と毎日戦っていた。戦い疲れた戦士のようにも見えていた。

主婦として人生の半分を子育てに費やしてきた母にとって、育んだ命がいつも崖から落ちようとフラフラしているのはどんな気分だろうか。崖から落ちないようにと、必死に抱きしめたり、くくりつけたり、試行錯誤していた。

「産まなければよかった」。その矛先は、私に向けられたものではない。毎日頑張っているから疲れているんだ。そうわかっていてもこのセンテンスは子ども心に重く残った。

活動的で反抗的だった末子の私は、母子喧嘩をするたびに内心いつも「じゃあ産まなきゃよかったじゃん」と、その台詞を切り札のように喉ぎりぎりの所で止めていた。いつか言ってやろう、さぞかしこの言葉に動揺するだろうと、そんな風に想像しては言葉をしまった。

伝えた暁には母に謝罪してもらい、傷ついた自分を慰めてもらいたかった

私が成人になる頃、とあることから母と大きな言い争いになった。私は自由で母は厳格、そういう違いから生じる争いだったが、いい年になった私は母の過保護に耐えられなかった。今だ! と悟った私は、ついに言った。

「じゃあ産まなきゃよかったじゃん。あんた自分で『子どもなんて産まなきゃよかった』そう言ったの覚えてる?」。瞬発的に「そんなこと言ってない!」と怒りのような返しが飛んできた。反発するかのように言葉が飛んできたのは、絶対にそれを否定しなければいけないという本能を感じさせるスピードだった。

私は「そんなこと言ってごめんね」と声をかけてもらいたかった。母も辛い毎日だったから、ついそんな言葉が出ても仕方ないと、謝ってくれたら許そうと、ずっとそう思って何度も言葉を飲み込んできた。いつか伝えた暁には、謝罪の言葉をもって、あのとき傷ついた自分を慰めてもらいたかった。

でも母の言葉を拾い、記憶し、反芻し、いつか許そうと、感傷的に生きてきたのは私の勝手だった。全然、切り札ではなかった。

私は「産まなければよかった」という母の言葉を箱にしまうことにした

産んでよかったかどうかは、結局知らない。私には子どもがいないから母の気持ちになることもできない。

ただ、母からどんな愛情や世話を受けても「産まなければよかった」という一度出てしまった言葉を取り戻す行為かのように見えていたのは、たぶん倒錯だった。

私は「産まなければよかった」という言葉を箱にしまうことにした。あくまでイメージだが、ゴミ箱に捨てるのも、棚に上げるのも、違うと思った。こんなこともあった家族の歴史として、思い出したくなったときに埃を払って取り出せばいい。

この出来事から10年近く経った今、母がこの会話を覚えているかはわからない。ただ純粋に母は娘を愛していることはわかるし、愛し方は誰かに強制されるものでもない。そして、愛の受け取り方と返し方も娘の自由だ。