私は21の時、自殺を試みたことがある。
私の家族は母と弟、それから再婚相手の父の4人だ。
私は血の繋がっている父が大好きで、再婚相手の父は嫌いだった。
実家で暮らしていた時に大喧嘩をして、一緒に暮らしながら半年以上口を聞かなかった時もあるし、地元で一人暮らしを始めるときは最後まで引っ越しの話をしなかった。
だから当然、父も私を嫌っていると思っていた。
「血も繋がってないくせに!」
大喧嘩した時に私が吐いた言葉だ。そんな言葉を言う連れ子を嫌っても仕方ないと思うし、ずっとそれで構わなかった。将来結婚式をする時も絶対呼ばないし、本当のお父さんとバージンロードを歩く!それが私の夢であり決意だった。

医者の冷たい言葉に合わない薬、友人とも喧嘩し、遂に糸が切れた

21の時、私は仕事の都合で地元での一人暮らしから、新幹線で4時間半の所に転勤することになった。
1人でいるのは平気だと思っていたが、気付いた時には心を病んでしまっていた。
私は昔から運があまりいい方ではなかったが、この時罹った医者からも冷たい言葉をかけられ、合わない薬を出され、地元から遊びに来てくれてた友人とも喧嘩をし、遂に糸が切れた。
家で意識を失った。朦朧とする意識の中、母と電話をしたのを覚えている。
「どうしたん!?今から行こうか!?」
心配と不安の声に、
「大丈夫だよー、もう終電終わってるよ~」
と声をかけたのをうっすらと覚えている。
ここからは、母から聞いた後日談だ。
緊急搬送されて、医者と警察から親に連絡があったらしい。
「娘さんが自殺未遂をしました」
それを聞いて、母も再婚相手の父も相当焦ったらしい。でももう時刻は深夜1時頃。電車もないし何もできず、ただ待っていたそうだ。
それから暫くして病院から再度連絡があり、「命に別状はありません」。
母は安堵し、それを再婚相手の父に伝えたそうだ。
すると再婚相手の父は、ぽろりと涙をこぼした。
「あぁ、よかった……」

酷い言葉をかけ会話もしない薄情な連れ子を、父は心配してくれていた

私はこの話を聞いて、心底驚いた。
もっと怒鳴ったり怒ったり、そもそもあまり興味すら持っていないと思っていた。
だって私は酷い言葉をかけたし、ほとんど会話もしなかったし、引っ越すことも言わなかった。
そんな薄情な連れ子を、心配に思ってくれていたことに驚いた。
あぁ、ちゃんと家族だったんだ……。
私はやっと気がついた。
父は、私との接し方がよく分からなかったのだ。
元々一人でいるのが好きな父。所謂、年頃の私に何を話していいのか、話題が分からなかったのではないか?
そう思うと、もう何年も凝り固まっていた肩の力がすとんと抜けた。
あの時も、この時も、父は本当はどうしていいか分からなかったのではないか?そう思うと、突然父が優しく可愛く思えた。
あれから数年経った今、私は実家が大好きだ。
父と母もLINEを始めたので、たまにやり取りをしている。
相変わらず父は不器用で、私も不器用だから、私たちのやり取りはペットの可愛い写真を送り合うのみだ。文のやりとりはない。だけど、それが私たちらしいと思う。
戸籍上家族になってから、13年が経ち、やっと私には本当の家族ができた気がする。
いつかする結婚式では、腕を組み、バージンロードを父と歩きたいと思っている。